水今novels

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

早朝

浜田省吾に電話をかけたくなるくらい、眠れない夜だった。
しかし、ハマショーは私が朝の5時に電話をかけても出てくれないだろう。
だいいち、私は彼の電話番号を知らない。本人のはもちろん、事務所のも、ファンクラブのも。そもそも、ハマショーはスマートフォンを持っているのだろうか? 

メキシコの名もなき街の雑踏で、スマホ(android端末。真っ黒で、わりに大きい)を半袖シャツ(カーキ色)の胸ポケットに入れ、露店でホットサンドらしきものを買い求めているハマショーの姿を思い浮かべてみる。ハマショーはいつでも旅の途上だ。
ハマショーがそのホットサンド(アボカドとツナとレタスが挟んである)に食らいついたまさにその瞬間、スマホのヴァイブがぶんぶん鳴った。
彼はスマホをいったん手に取ったものの、しかめつらしい顔で細身ジーンズのポケットに戻し、ホットサンドを咀嚼する作業に戻る。

道端では、浅黒いメキシコの子供たち(7、8歳くらいの男の子と女の子)が、しゃがみこんで「おはじき」のような遊びに興じている。ハマショーはケチャップとマスタードのついた口元を手の甲で拭いながら、彼らに目を留める。
それからジーンズのポケットから鳴り止んだスマホを取り出すと、メモ帳アプリを呼び出し、不器用そうにフリック入力していく。

それは歌詞に使う断片メモのようなものだ。

そこにはこう書かれている。

 

2019 3/10
名もなきこの街の雑踏で
俺は名もなきホットドッグを頬張った
通りの向こう側で
おはじきしてる子供たちの姿が見えた
異国の太陽はただ眩しいだけじゃない
ここが正しい場所だって思わせてくれる
だけど色眼鏡越しのこの風景は
漆黒の闇——そんなんじゃないけど 

まあ、井戸の底さ

(オン・ザ・ロード 2019)

 

その時、私の内のハマショーは部屋の片隅で充電していたiPhoneのバイブ音によって消え去った。
ぶぶぶ、ぶぶぶ……。
夢かと思ったが、それは実際に鳴っていた。私はiPhoneを拾い上げて、通話を押さないように注意してディスプレイを見た。
そこには見慣れない電話番号(登録していない番号)が表示されていた。
少し迷った揚句、12コールめで電話に出た。
思った通り、相手は私のよく知っている人物だった。

しかし、その人物から電話がかかってくることを私は全く予想していなかった。
そんなフィリップ・マーロウじみた朝だった。眠たい。

『スパイダーマン:スパイダーバース』を観た

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昨晩、レイトショーで大評判の『スパイダーバース』を観賞してきた。

結論から言うと、評判通りの凄まじい作品だった。『スパイダーマン』という稀代のコンテンツのみならず、「ヒーローアニメ」そのものを更新していると感じた。久方ぶりに、観賞中も観賞後も溜息もらしっぱなし。そのくらい古典的で、先鋭的で、包括的で、「現代アート」と呼ぶのに相応しい作品だったように思う。文句nothing。

しかしながら、見終わった後、不思議なほど自分の内から自分らしい感想が一切出てこなかった。映画館の外は雨がたくさん降っていたのですが、僕の心は不思議に枯れ果てた砂漠のようだった。そういうの、自分としてはかなりけっこう珍しい。

どうしてだろう?しばらく自分に問うてみたのですが……

おそらく『スパイダーバース』が完璧すぎたのだと思う。俗っぽい言い方をすれば、「ずるいや」ってやつ。

こちらの膨れまくった数多の期待とツッコミに対し、クレバーに、ユーモラスに、アーティスティックに先回りして完璧に返してくる今作。現代に求められる在るべきヒーローアニメの有り様を完璧に掴み、「ほらっ」と提示してくる製作スタッフの「為せる技」。おまけに今作のディレクションとスクリーンプレイは数多のMarvel作品と比べても抜群に、滅法素晴らしかった。それは認めなきゃならない。

だけど、しかし……どうしてだろうか? 今作は僕の胸には全く、と言うといささか言いすぎだろう、ほとんど響かなかったように感じている。その因は、本作『スパイダーバース』があまりにも完璧すぎたからなのだろうか。あるいは、僕がすっかりスれてしまったのか。あるいは、僕はそもそも欠陥や不器用やツッコミどころ満載の作品に強く惹かれてしまう傾向があるのか。

わからない。ただ、これまで接した数多の映画を思い返してみると、たとえ完璧と思えるような作品であっても、否応なしに惹かれてしまうものはこれまでいくつもあった。『銀河鉄道の夜』とか『KUBO』とかユーリ・ノルシュテインの短編作品みたいに。

今、いささか酔っぱらってしたためているので、なかなか腑に落ちるような結論に辿り着けない。細部もうまく思い出せない。さしあたって今思うことは、遠からず『スパイダーマン』の名を冠した作品を改めて全部観てみようってこと。何となく、未見の『ブラック・パンサー』も観ておきたい。そして何より、PS4版スパイダーマンがとてつもなくやりたくてやりたくてしょうがないから、今から4000円ばかり溜まっているポイントカードを握りしめてビックカメ行こう……ジュテーム、そんなとこだでありました。

【PS4】Marvel's Spider-Man Value Selection

【PS4】Marvel's Spider-Man Value Selection

 

彩愛玲さんのハープコンサートへ

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比較的——という言葉ではとても表現できないほど出不精な私がコンサートに出かけることはほとんどないのですが、今日は嬉しいお誘いとご縁があって、国立大学通りの素敵ギャラリーカフェ『わとわ』で行われた彩愛玲(さい・あいりん)さんのハープ・コンサートを聴きに行ってきました。

普段、レコード盤でハープ曲をかけることは度々あるのですが、プロの演奏家によるハープ単独生演奏は生まれて初めてだったように思います。

演奏曲はずいぶんと多岐に渡りましたが、僕の好きな、ヒルデガード(Hildegard)という古い作曲家の「Laus Trinitati(三位一体)」という曲が選ばれていることに少なからず驚きました。禅的世界を思わせる、どこか能楽にも似た調べのその曲は、彼女の手によっていっそう融通無碍な調べを得ていたように思います。

そしてラストの「赤とんぼ」とエリック・サティ「ジムノペティ」の自然な融合は、愛玲さんのルーツと音楽的世界観を強く濃く表現していたように感じました。

愛玲さんのデビューアルバム『花一輪』(バッハ「平均率クラヴィーア」やチャイコフスキー「四季」収録)はリリース時に手に入れてからよく聴いていて、そのイメージを無意識に保持しつつ赴いたのですが、(僭越ながら)この10年で音楽家として目を見張るほど成長されていたことが生演奏に立ち合ってみてよくわかりました。これからもっと「ハープ」という楽器に対して意識的になれそうです。

1時間半近い、終始心地よい緊張感が流れるコンサートが終わると、会場は大きな拍手と暖かみに包まれていました。愛鈴さんに花束を渡し、少しお話して(彼女は僕の中学校の同級生——しかもかなり仲が良かった——の妹さんなのです。不思議なご縁ですね)外に出ました。

すっかり春の午後です。花粉がきっと飛びまくっているけれどすこぶる爽やかな気持ちに包まれていました。明日は名曲喫茶為事。久しぶりにハープのレコードをターンテーブルに乗せよう。