水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

酔い者は雨にけぶった多摩川を想う

あ〃、何かしら、記さなけりゃ——

 

そう思った時、自分がはたして何を記すつもりなのか、ろくすっぽ判っていないことが、常にではないがけっこうある。今日なんかはもろきゅうそんな状態だ。

 

今、間断なく雨が降り続いている。

 

雨が降ってると、否応なしに森とか川のことを考える。その場所のにおいとか、情景とか、たたずまいみたいのを。それで考えてるうちに、行きたい気持ちがじゅくじゅくと自分の内に芽生えてくる。もちろん山も海もやぶさかではないが、現実的にはなかなか行けるものではない。けっこうな危険を伴うし。

でも現実には、僕が今住まっているこの部屋から、徒歩50分くらいで多摩川に到着することができる。

多摩川に到着した時、僕はチャコールグレーのウインドブレーカー(2年前に従姉妹にハワイ土産でもらった)を着ているだろう。右ポケットに忍ばせた小さな水筒の中に、生ぬるい日本酒を忍ばせているだろう。左ポケットの中のiPhoneが雨に濡れないように、2重のポリ袋に入れているだろう。足が濡れないように両足にもポリ袋を被せているだろう。(僕はそのくらい用意周到入念な男だ。)

 

だけど、誰もいない、雨にけぶった多摩川べりで日本酒をきこしめしていても、およそ25分くらいしたら、ある種の空しさと後悔を禁じえないだろう。

「俺はいったい何やってんだ?」みたいな疑念が頭をよぎりかねない。常人らしく、熱い湯船が恋しくなるかもしれない。だけど引き返すのも面倒だから、いっそ日野橋を渡ってサイゼリヤ日野店で雨が止むまで待つか……とか思っちゃうかもしれない。そんな時、心の片隅で、「ああ、俺もやきが回ったな……」とか思っちゃうかもしれない。

雨が小止みになり、空が白むまで、川の流れを注視していられないなんて! リアルな川音から逃げて、身を濡らし続けてくれる雨を避け、安全で無菌で有料なサイゼリヤに逃げこむなんて、そんなのかなり馬鹿げてる。

 

しかし、雨降る川沿いで酒をきこしめしながら、はたして僕は自分に何を証明したいのか? 俺の根幹、あるいは保留信(ぽるしん)は10年経っても変わっていないぜ、とでも言いたいのか? 川の流れはいつだって変わらないから素敵だ、とでもしたり顔で言いたいのか?

ちがう、ちがうのだ、マイ・フレンド。川は変わらなく見えてももうあの頃と同じ川ではないし、川沿いの工場はいつのまにか全部閉鎖されてるし、同じ自分に思えても全く違う自分だし、あの時感じたスピリットはせいぜい酒瓶に残った一滴ほども残っちゃいない。サイゼリヤのグランドメニューだってすっかり一新されちまった(アンチョビキャベツを残してくれてありがとう)。  

 

あ〃、無体な話が長くなってきた。そも、いったい何の話をしていたのだっけ? さっぱわからなくなってきた。自慢じゃないが、ほろ酔いの時、そういうことは多々ある。次回はよく晴れた日の多摩川のことをレポろう。おやすみなさい。