水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

8月の現(実)状(態)

8月が来てしまった。いや、もうとっくに来ているのだが。

7月の蒸し暑さ(今年は空梅雨だったせいか、異様なほどに感じた)を経由したせいか、感覚が狂っているらしい。6月の記憶よりも2月の記憶のほうが生々しく感じたり、5月が遠い昔のように思えたり、春先が来年のことのように思えたり(これは正しい)、秋をすっとばして冬が近づいてきているように感じる。長く生きれば生きるほど、自己内時間的感覚は混ざり、濁り、渾然一体となるのかもしれない。

あるいは、蒸し暑さや鳴き止まない蝉の声といった夏的な要素とは無関係に、僕は心身ともに中年期の混濁(なるもの)にどっぷり浸かっているのかもしれない。あるいは日々の飲酒による酩酊の所為かもしれない。あるいは目の前に展びている道をしっかりと見定めるための視力が不足しているのかもしれない。(実際、僕の視力は0.1もないのです)

しかし、そういったあれこれをあれこれ検証するのは止そう。確かなことだけに目を向けよう。今の僕は今の僕で、今は8月で、君はそこにいる。「そこ」というのは僕にとっての「ここ」であり、僕がここでこうしているように、君もそこでそうしているはずだ。たぶん、きっと。絶対、とまでは言いきれないんだけど。

 

話は変わるのだが(いや、ホントは変わっていないのだが)、先月、僕がささやかに営んでいる名曲喫茶が記念すべき5周年を迎えました。ぱち、ぱち、ぱち。

それについて何かしら思うところはあるか?

と、自分に問うてみると、もちろんかなりあるようだ。毎年のように。しかし、その思いは今年の夏に対しての感情にかなり近い。より混濁し、より絡み合い、より一筋縄ではいかなくなってきているようだ。

それでも、心の内で感じてる想いというのは意外なほどシンプルであって、それを口にすると、やはり「ありがとうございます。」に尽きるように思う。あのような場所で、あのような形で、このような私で、「名曲喫茶」などというきわめて限定的な場所を5年間も営み続けてこれたのは、奇跡であり、僥倖であり、恩恵でしかありえない。そして、「5年」という期間は「10年」ほどではないにせよ、ひとつの「節目」となるシグネチャーと感じる。これからのことを考えるにしても、これまでのことを振り返るにしても、かなり適切な楔(くさび)だ。

 

夏(やらなんやかや)のおかげで、今の僕は現実的なあれこれをろくすっぽ考えられない。でも、心をひとところにまとめるべき時期が近づいている。それだけはわかる。弓をまっすぐ引き絞り、的を見詰めて、やがて的と一体になる。放った矢が的を得るかどうかについては一切合切考える必要なし。それはたいして重要な要素ではなしなしなし。

というのが、おおむね今の僕の個人的現実であり、状態であり、現状であり、実態なのでありまする。お座なりに響くかもしれませんが、夏バテや熱中症など、どうかどうかくれぐれも気をつけて。ともに涼しい秋を迎えたいです。