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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

檜花粉に告ぐ

先頃から本格的に飛散し始めた檜花粉の影響によって、僕は今、名状しがたい不調に苛まれている。くしゃみや咳が止まらぬ方々にも心底同情するが、幸か不幸か知らないが、僕の不調はそういった類いではない。

それは先ず、純然たる痛みである。何のメタファーでもなく、ただ激しいばかりの痛みが日に何度か訪れる。気を沈ませている余裕はない。それは「武器なき戦い」だ。やって来たら、床にうずくまって、やりすごすっきゃない。そんな状態では、まともに何かを為すことはとても出来ない。酒を絶ち、頓服薬を握りしめて何かにぐっと集中しているよりほかない。しかし、かつての日記など紐解き、遡ってみると、どうやら毎年大なり小なりこんな「てい」らしい。いつもいつも、その時の不調に向き合うのが精いっぱいで、昨年の自分の状態などすっかり忘れてしまうのだが。

そんな時、ただじっとして、酒を絶ち、全ての花粉が地面に落ちるのを待っていれば良いよ。と、かつての自分が親切にも書き残してくれていた。余計なことは考えず、クラシックのレコードをひっくり返していれば良いと。コーヒーをできるだけおいしく作っていれば良いと。とにかく、ひとところで、無心で手を動かしていれば宜しい、と。それは僕にとって、真剣ありがたい提言である。今年の春もどうにかこうして乗り切れそうなことにひたすら感謝しないわけにはいかない。いつか訪れるであろう死の直前に、ひしひし感じるであろう、あるいは感じていたいであろう、感謝っぽい念を、なるべく少しでも先取りしておきたいと思う。たとえ全部は無理でも。そして、その感謝を周囲の存在にも向けることができればなお良い。なぜなら、他者は例外なく自分だからな。雨の中、道路をよたよた横断しているアマガエルだって。面倒だから省略するが、他にもいろいろいろいろいる。たとえそう思えなくても、そういうことにしておきなさい。

今はただ、待っている。てるてる坊主が近所の軒先に吊るされる6月。梅雨期。木々や葉っぱにまとわりついていた花粉がすっかり洗い流される。なんて魅力的な時候だろう。傘をさして、雨弾くアウターを着て、無目的に歩き回ることができる。誰かに会い、何処かに行って、雨打つ横丁のカウンターで1杯酌み交わすことができる。やがて来るその日のためにも、今は摂生と節制を心がけていよう。

7月。万緑が世界を彩り、艶めかしい空気が外にみちる。なまぬるいコーヒーと純米酒がもっともおいしくなる季節。自転車に乗って、川沿いに走りたい。少し湿った芝生に身を投げ出し、小瓶に入れてきた鳶色のワインをぐい呑みする。

背を向けて、マスク越しにしか向き合えない春先。そして11月のぶたくさ野郎。いつか愛することができるようになれるかもしれない。もっと早く目覚めたい。あるいはもっと遅くまで起きていたい。午前8時に起きて1時に床に着くのは僕の性分にまるで合っていない。午前11時から午後3時頃までの時間はさびついた映写機で投影されたセピア色の風景のようだ。あるいは暗い洞窟の壁に映った影。真夜中と白猫はカラフルな現実そのもの。でも、今はここにはいない。でも、それはまた巡ってくる。その時、僕はこの僕ではないかもしれないけれど、たぶんおおむね同じようなものだ。ああ、今の僕にはくしゃみなんてまるで敵ではないのだが、いささか止まらなくなってきたのでこのあたりで改行と句読点少なき記述を止めます。明日は名曲喫茶仕事です。