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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

牧神の午後の午後

日曜日。渋谷『名曲喫茶 ライオン』に長く勤めていたWさんが来店してくれる。


Wさんは僕よりもずっと年下だけど、この業界(と言うべきか)においてはずっと先輩なので、いつでも少しばかり緊張が走る。自分の振る舞いとか、ターンテーブルに載せるレコードとか、店内の通奏低音ムードとか、そういった名曲喫茶的ことごとに対していつになく意識してしまう。

彼女は来る時はたいてい何かしらの音源を携えてくるので、注文を伺う時、こちらも無言で手を差し出し、CDを1枚(ないし2枚)受け取る。その日は『牧神の午後への前奏曲』ピアノ連弾。

クレジットを見ると演奏者たちは寡聞にして知らなかったが、かけてみるとこれが途方もなく素晴らしい演奏で、厨房の中でしばし陶然としていたのだった。
『牧神の午後への前奏曲』はそれはもちろん見事な楽曲だけど、個人的には日々聴きたくなるような曲ではなかったし、そのピアノ演奏など想像したこともなかった。でも、そのつつましくも濃まやかな演奏と霧の中で響いてくるような音像は私の心に直截に響いてきて、思わず度肝を抜かれたのだあった。今でもその旋律が耳の奥で小さく、でも確かに響いてくるようだ。

ふと、この5年間でWさんが教えてくれた音楽を思い出す。セルジュ・チェリビダッケ指揮のブルックナー交響曲、ウィルヘルム・ケンプの弾くモーツァルト、ワルター・ギーゼキングの弾くメンデルスゾーン無言歌集……その他にもWさんは数多くの音源を私に紹介してくれ、それらの音楽はことごとく、今でも深いところで私と結びついていると思う。

ずいぶん前に、『ライオン』でWさんや、彼女の先輩であるライオンの古参スタッフMさん(この人とはいっぺん会っただけだが)の選曲に耳を傾け、それからしばらく雑談した時、名曲喫茶為事にも明らかに「矜持」と「センス」があり、こういうのってちょっとかなわないよな……と強く感じた。彼らに感じるのは圧倒的な知識だけではない。言うなれば、クラシック音楽に対する「広い視座」と貪欲なまでの飽くなき探求心というか。
僕もかれこれ5年近く「名曲喫茶」という為事に従事しているわけだから、「クラシック」なるものを自分なりに年々こよなく愛しているつもりだが、逆立ちしても彼らにはある部分で敵わない気がしてしまう(争うものではない、とは承知の上で)。

しかしながら僕は僕であって、これからも僕なりの矜持を持って、自らに吹いてくる風に導かれるままにクラシックと、名曲喫茶と関わっていく。やっぱり、それっきゃないよね。と、清新な「牧神の午後への前奏曲」を聴きながら改めて背筋伸ばした。
写真はWさんに頂いた手土産チューリップ。春の息吹を最高に感じる。