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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

押し入れの外は下高井戸

今日は久しぶりに涼しい。窓を開けていないが、それは確かだ。身体が秋らしい気温を喜んでいるのをひしと感じている。湿気の多い家の中でこれなら、きっと外に出たらさぞかし快適だろう。

ようやく夏は終わった。そういう実感がある。嬉しい、というよりほっとした気分だ。今年の夏はとても過ごし辛かった。

何も記さ(せ)なかった、この10日ばかりのあいだに起こったこと、それについて感じていることなどをここにしっかり明記しておこうと思っていたのだが、どうやら全然無理そう。さっきから、大きな蚊が私の周りを意気揚々と飛び回っているからだ。蚊ばかりのせいでもないが、それはかなり大きい。今月の雨量と蚊の出現率は例年に比べて異様に多かったように思う。これはSNSでサーチすると多くの人が言及していることだから、きっと私だけの偏った所感ではないだろう。「2016年9月」という月を、雨と蚊と君のイメージとともに、この先、何度も思い返すことになるだろう。今年の夏から今日に至るまでのあれこれは、きっといつまで経っても忘れないだろう。何気にそういう印象的な夏だったらしい。はあ。まだ疲れが抜けていないので、20分ばかりベッドに横になってきます。

すると、いつのまにか2時間が経過していた。よくあることである。

私事で恐縮だが、どうも、あれこれややこしく考えすぎているような気がするな。もっと気楽に、心やすく、単純に、「Just do it!」的心持ちでまっすぐどんどん進んでいけば良いのではないか。きっとそれが推奨されている。ともあれ、この10日ばかり、私は自分にも他者にも「だんまり」を決めこんでいた。「決めこんでいた」というより、ただただそういう状態が常態になってしまっていた。しっかり意識していないと、人は(自分は)どんどん楽なほうに、快いほうに、疲れないほうにずるずると流れていってしまう。まるで穴にむかってずるずると這っていく怠惰なみみずのように。

 

「行動には否応なしに意味が伴う」と言うが(確か、誰かがそう言っていた)、「意味は行動を伴うことによって初めて意味を成す(為す)」というのが、今日の個人的テーマであるらしい。そのためには、うなだれて、つっぷして、グラス片手にシニカルな表情を浮かべて悦に入っているわけにはいかない。行き慣れた店で「くだ」を巻いているわけにはいかない。ぱりっとした服に着替えて、外に出て、知らない場所を意識的に動き回らないといけない。でも、いかない……いけない……と呟いていると、やや強迫観念的になるから、主体的に、自発的に、自己と他者を肯定しながら、スムーズにやってのけようじゃないか……などと心していると、やはりどんどん面倒になって、またずるずると押し入れ内的世界に戻ってしまう。押し入れは私にとって聖域のように大切な場所だが、今日、私が居るべき場所ではないようだ。

 

今日は休日である。これから外に出かけて、電車に乗って、出先の喫茶店かカフェでこの続きを記してみよう。スマートフォンにするする指を滑らせながら。店内の喧騒に耳を傾けながら。そこに熱い濃いコーヒーか、よく冷えた白ワインがあればなおいい。