水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

イマソラさん

f:id:lovemoon:20160419133344j:plain

空ってば広い! 暗いけど。

今日、午後6時40分の空。日が長くなったから、もう少し夕暮れっぽい空に出くわすつもりだったが、走ってここまで来るのに思ったより時間がかかってしまった。

早朝、空が白みかけた頃の空も見はるかす素敵だが、やっぱり私は暗みを帯びかけた空、あるいはすっかり暮れかけた空に心が馴染む。安心する。

この広い空の下、畑に面したあぜ道では、普段は散歩中でも欠かせないノイズキャンセリングイヤフォンを外して、高い空が立てている(ような気がする)「ごうごう」というような音、風に揺れる草木が立てている「さわさわ……」というような霊妙な音に耳を傾けながら歩く。立ち止まって空を見上げたり、感慨深げに見回したりはしない。毎日この道を行き来する近隣の人々に「こいつ、このあたりの者じゃねえなw」と思われるのがしゃくだからだ(ゆえにこの写真も歩きながら撮ったのでやや手ブレている)。

 

今日、「落ち葉焚きが見たいな……」と(季節外れにも)思いながら歩いていた。

 

11月の終わりになると、畑のそばで腰の曲がった老婆がドラム缶の中にそこかしこで集めてきた落ち葉を放りこみ、どしどし燃やしていた。10年くらい前のことだ。落ち葉焚きが行われるのはきまってまだ空がほの暗い夜明け前だったから、夜更けに仕事を終えた後、煙草とマッチをポケットに忍ばせてよく見に来た。老婆に気付かれないようにかなり離れた場所に隠れて、燃える炎と缶から立ち上る煙を見つめていた。

でも今はどこを探しても老婆の姿は見当たらないし(畑の中に人がいる光景をもう何年も見ていない)、あの錆びついたドラム缶もない。老婆はもうご存命でなく、落ち葉焚きをする者もいなくなり、箒とドラム缶は処分されたのかもしれない。あるいは老婆は今でも夜明け前にひょっこり姿を現し、落ち葉焚きは今でも秋になると行われており、ドラム缶は春になったからどこかに仕舞われているだけなのかもしれない。春には老婆は何をするのだろう? 風で吹き飛ばされたレタスの葉っぱや散らばった馬鈴薯を集めたりするのだろうか。まあ、そのへんはとくに追求する必要はないだろう。生活リズム/活動時間帯のすっかり変わった現在、老婆の存在と行為を確認するために夜明け前までは起きていられそうもないし、曖昧にしておきたいという気持ちもある。

 

大切なことは、今、目の前にある空が10年前に見た空とこれっぽっちも変わっていない(ように見える)ことだ。こちらはあれこれずいぶんと変わったが、空からすればそんなことは全く問題じゃないはずだ。同じ空はいつでもここに変わらずある。

しかし、この同じ空をこの同じ瞳に映してくれているのは広い畑の賜物であろう。よくまあ、この街においてこんなにだだっ広い畑を長いこと残してくれているものだ。そこにはもちろん現実的な理由があるのだろう。税金対策を目的として維持されているのかもしれないし(いかにもありそうな話)、畑の持ち主が高品質の地場野菜を育てることに執心しているのかもしれないし(これはたぶんない)、あるいは畑の持ち主がこの最高に素敵な空の値打ちを誰よりもよく知っているのかもしれない(そうでなくても、そういうことにしておこう)。

しかし、いつの日かこの畑が整地され、とてつもなく高いマンションが建ち並ぼうと、モダンで画一的な建て売り住宅が建ち並ぼうと、更地になろうと、この空からすればどうでもいいことだ。この限定された、恩恵のような広い空に長年心を癒してもらってきた私を含む多くの住民たち、この土地をしっかと護ってきた畑の持ち主、この土地から少しでも多くの利益を生み出そうと目論んでいる(かもしれない)大手不動産たち、そして何が建とうと建つまいといつでもそこにある空。

全て正しいが、儚くないのは空だけだ。空は凄い。唯一無二だ。それは認めなきゃならない。

 

話が逸脱しまくっているな。いや、逸脱する主題もそもそもないのだが。いったい何が言いたかったのだっけ? 忘れてしまった。

とにかく私は、今日も見慣れた広い空を見上げることもなくまっすぐどんどん歩きながら、名状しがたい幸福感に包まれていた。この空の下では、いつでもそんなような気分になれる。それをノスタルジィと呼んでもいいし、広い空が好きな都会っ子と呼ばれてもかまわないし、畑に倒れこんで春の土の匂いに包まれながら空を見上げたがっている似非ロマンチック男と思われてもいい。大事なことはそんなんじゃない。じゃあ何だ? 知らない。

ところで、10年前も今日と同じ空の写真、同じ書き出しでブログをしたためたはずなのだが、きっとこれとは似ても似つかぬものだろうな。10年はディケイド。