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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

春の小遁走曲(清水美紅さん原画展@cafe circusにて)

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春が、もうすぐそこまでやって来ている。

などと記すことが無粋に感じるくらい、それはすでに無言のうちに周知されているようです。窓を開けると、あの息吹が五感をひしひし覆い尽くし、こちらを圧倒し、権柄ずくにぎろりと睨みつけ、次いで鼻腔と眼球を花粉でびしびし刺激してきます。

春は経巡るもの、愛おしいもの、そしてちょっぴり哀しく痛い季節。それは吾国においてはT.S.エリオットさんの詩作以上にいっそう強く意識させられます。ロンドンやモスクワにいてもこれほどまでには春のテクスチャーをくっきり感じられないことでしょう(たぶん)。

「春は苦手。」

私はかねてよりそう口にしてきたし、これからもそれは変わらない気がします。

「苦手だけど、大好きさ。」とでも言えたらいいのでしょうが、どう考えても言えません。ナイーヴぶるつもりは微塵もないですが、春の息吹を感じるたびに、春が近づくたびに、心の奥がざわざわ戦慄き始めます。外気がうららかに暖かくなり、桜でも咲こうものなら、いつだって不安な気持ちに満たされ、気ぃ塞いだり、勢い余って外に飛び出したり、泣いたり、呻いたり、苦しめられたり。それでも、春という季節が、もしも存在しなかったら……と思うと、まるで最初から死んでいたような、お祭りが雨天中止になってしまったような、空しい気持ちに襲われるのもまた事実ですが。

 

春は(いや、春も)、今が我が季節、とばかりに此の世界を支配しているうちは、暗い押し入れの中に閉じこもり、ただただ本の頁を繰るか、あるいは暗い喫茶店で無言で熱い濃いコーヒーか、静かな居酒屋で御酒のたっぷり入った杯をとっくり傾けていたいところ。本当に。

げんに今も、押し入れの中でひたすらじっとしておりました。これで傍らに一升瓶があれば過不足なし。なのですが、まだばっちり陽が出ているし、昨晩、寝しなにお粥をあてにして日本酒をけっこう呑んだので、今はやめておきましょう。

ああ、今日はじつに、手なりで、面白みも可笑しみも欠けた雑感をつらつらと記しているな。いや、雑感にもなっていないよな。ただただ改行ばかりして……。

 

せめて、何か冒頭に見目麗しい写真を貼っておこう。

冒頭の写真は今週初めから来週頭まで、近所のカフェcircusさんで画家・清水美紅さんの画集発売を記念し、原画展示会を催していると聞き、初日に赴いて撮らせてもらった作品です。

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清水美紅さん原画展示中のcircus

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水の中のような碧の中、春らしく、そこはかとなく漂うものたち。小さな慄きとともに、めくるめく現象(見える)世界と仮象(瞑る)世界、そこにどこまでもどこまでも生まれ出てくる数多の存在がじつにチャーミング、かつ少しばかり儚く感じられた。それは夢想的であると同時に、春の或る時期をくっきり顕しているように感じた。私にとっては、それは啓蟄から始まるあの時期だ——

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というようなことを、置かれていた感想ノートに(名前と住所とともに)筆ペンでしたためるべきだったのかもしれないが、僕はさんざ眺め回した後、「どもども。ところで俺、字ぃ書くのが苦手なんで、これ(感想ノート)は書かないでおきますが……ふうむ、なかなか興味深い絵ですね」とかなんとか清水さんに言って、じゃあ、また、むにゃむにゃ……とその場を後にしました。作品について強く感じたことをその場で、面と向かって作者に向かって述べるのはじつに難しい。私のような人見知りな人間にはとくに。

この原画展、ぜひ実際に足を運んで、作品を間近でご覧頂きたく思います。

 

さて、今はもうすぐ夕方なのですが、まだ一歩も外に出ていません。これから店の買い物に行って、精神的安寧のために、近所のお店でお酒をちょっとばかりきこしめしてきます。またのちほど。