水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

2011年3月11日から

今日でまる5年が経ちます。多くの人が多くの場所で東北地方太平洋沖地震について何か記している、あるいは思いを馳せていることでしょう。それで、自分でも何かしら記しておきたくなって、それなら、ここに記しておこうと思いました。

 

とはいえ、僕などに何を記せるのか……というのが正直なところ。やめときな、という思いに激しく襲われます。

 

何しろ、僕は5年前も現在も安全圏(都内)に居住していて、被災地や発電所付近の様子を(当時から現在まで)テレビやネットなどの電子媒介を通してしか知らないし、知識は常人としてあまりに偏っている、いや、欠落しています。

福島の現状についてもろくすっぽ知りませんでした。

だけど今朝、お馴染み「ほぼ日」で福島第一原子力発電所について、濃まやかに記された記事を読み、これまで知らなかった多くのことを知ることができました(この記事の著者がかつて僕が好きなゲーム雑誌編集者だった永田泰大さんでなければ、あるいはこの記事も読んでいなかったかもしれません)。

読んで強く思ったことは、無知でも、不勉強でも、偏見を持っていても、とにかく「(本当のことを)知ろうとすること」。その気持ちと姿勢がかんどころということでした。そして、たとえ意味(意義)があるかどうかわからなくても「やってみること」ってことも。

以下記事と書籍。

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)

 

 

さて、僕は震災前も震災後も東北地方に赴いたことがありません。ゆえに現状僕が書けるのは、5年前のこの日に僕が何をしていて、目に映る光景はどんな様子だったか——それについて歯がゆく、恥ずかしく思う気持ちもあるけれど——それだけです。でも、それがいかに当事者意識と知識と常識に欠けた視点であっても、とにかくあの日の自分のことを思いだし、書いてみることにします。それしか出来ないのだから。

 

2011年 3月10日(木)

この日は平日だったにもかかわらず、ずいぶんと店仕事が忙しかったように記憶しています。その頃の僕の生活は、店から帰ってきては夜っぴいてゲームしたり本を読んだりお酒を飲んで、空が白んだ頃にバタンQという毎日でした。夜の仕事はけっこう忙しなかったので、帰宅してから神経を静めないことにはうまく眠れなかった。

その晩も寝巻きに着替えて自室でテレビゲームをやっていました。『ニックスクエスト』という、ギリシア神話をモチーフにした海外産アクションゲームです。大地震の直前に、今思えば全く「呑気なもん」ですが、その時の自分を責める気にはなれません。だってその晩だっていつもと全く同じような「いつもの晩」だったのですから。きっと多くの人にとってそうであったように。

明け方にようやくゲームを終え、ウィスキーを1杯飲み、白猫と一緒にベッドに潜りこんで、眠りに着きました。そう、いつものように。

 

2011年 3月11日(金)

翌日午後2時過ぎ(だったそうです)、横たわったまま「そろそろ起きるか……」などと寝惚け眼で考えていたら、ごごごごごごごご……何か地鳴りのような音が遠くから響いた、気がしました。きっと夢の余韻だろうと思い、気にせず横たわっていると、母がやおら部屋に飛び込んできました。母は普段ノックせずに私の部屋に入ってくることはまずないので、「いったい何事?」飛び起きたように思います。

起きると、明らかに部屋が大きく揺れていました。その揺れは加速度的に大きくなっていき……やがて本棚の一番上の段から本やDVDがばさばさ落ちてきました。薄いガラス窓はかたかたかた……断続的に不穏な音を立てています。

すぐに机の下の狭いスペースに母と猫と一緒に潜ろうとしたのですが、すぐに考えを改めました。というのも、明らかに家が崩れてしまいかねないほどの異質な揺れだったからです(ちなみに自宅の建て付けはかなり脆弱です)。

そこで急いで大きめのリュックに嫌がる猫を無理矢理押し込み、寝巻きの上からパーカーを羽織って母と猫と外に出ました。

 

すると驚いたことに、外は凄まじいばかりの強風がびゅうびゅう吹きすさび、家の玄関の前には古い木造アパートが建っているのですが——このアパートがめりめり音を立てています。足下の地面はまるで波のようにぐらぐら揺れています。

これでは家よりも先にアパートが倒れてくるのではないか——そう思いながらも、しばらく一歩も動けませんでした。恐怖や危機感よりも、生まれて初めて直面した巨大な地震を前にし、思考が急に停止してしまったようです。それからぴんと張っていた気持ちが急に切れ、へなねなと力が抜け、時間がぴたり停止したような、妙な心地がしたことをよく憶えています。

 

薄暗く灰色に曇った空、ざわざわ揺れる木々とぼろアパート、揺れる地面、リュックから顔を出している白猫の驚いた顔——それらが2011年3月11日午後2時過ぎ、僕の視界に映っていたものです。

 

揺れがおさまってからのことはあまりよく憶えていません。

たぶん母と部屋に戻って猫をリュックから出し、テレビを点け、親戚や知人と連絡を取り、母と店を開けるべきか否か話し合い(売り上げにならなくても何か人の役に立てることをしよう、ということになり、店を休まずに食事メニューのワンコイン提供をすることに決めました)、その後計画停電などで店を閉めざるを得ないことはあっても、とにかく毎日店を開けることに専念しました。

店には、不安を抱える一人暮らしの方、郷里に帰れない学生さん、会社が休みになったお客さん方などが日々集まり、励ましあい、Twitterで情報を交換しあって(僕も含めて多くの方が現在もTwitterを使い続けているのは、この震災時の経験と感謝が大きいように思います。当時もっとも即時的かつ有用なSNSだったので)、ある種の連帯感を共有していました。

 

知人の中には、炊き出しに赴いた方や「この目で被災地を見に行く!」と勇んで東北へ向かった方もいたけれど、当時、僕はどうしてもそういう気になれませんでした。まだ地震から間もない被災地に行くことへの怖れも大きかったし、「自分が行っていったい何の役に立つというのか」というような疑問もありました。

それでも、実際に行けば何かしらできることがあったのかもしれません。いや、きっとあったのでしょう。当時、震災の報道など見聞きしても、なんだか映画で見たばかりの悪夢のようで、どうしても現場的/当事者的リアリティに欠けていたのは、やはり自分の目で現地の光景を見ていない、現地の空気を吸っていないからなのだ——というようなある種の後ろめたさが確かにありました。それでも、「いや、自分は東京に留まっていることが正しい行為なのだ」というような気持ちもあり、そうした気持ちが日々綯い交ぜになっていたように思います。

 

しかしあの日を境に——僕のような非当事者であっても——数多くのこと、そして数ではけっして計れない「何か」が確かに変わったことだけは確かです。そこには具体的に、実際的に変わったこともあれば、知らず識らずのうちに、無意識レベルで変わったことも多々あります。(例えばこれはまったく個人的なことですが、震災の翌年夏、地元で名曲喫茶を始めることを決意したことも、震災が無関係だったとは言い切れません。どころか時間が経てば経つほど、地震の影響が相当に大きかったように思えています。当時は全く意識していませんでしたが)

※※※

5年前の「東北地方太平洋沖地震」について思い返すことは、現在の自分の居場所と気持ちを精査に観察し、自覚し直すことでもあります。

それは今、自分が現世でしたいこと、できることは何か? といちいち自分に問いかけることを続ける気持ち。自分にもいつでも起こりえる不慮の事故で命を落とされた方々を悼む気持ち。見得ないものに対する想像力を少しでも働かせようとする意思。そして辿り着く場所がどこであれ、とにかく少しでも前に足を前に運ぼう。というようなどうにかこうにか前向きな気持ち。かなり大雑把に記しましたが、そんなところです。

今晩は東北地方太平洋沖地震に関わった、関わらなかった、生者と死者のことを思って黙とうさせてください。その後は東北の復興と繁栄を祈願して東北産の祝い酒を呑みたいです。