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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

冷たい川べりを思いながら

こんにちは。外気が春らしい波動を帯びながらも芯まで冷えるような寒さが続く今日この頃ですが、如何お過ごしでしょうか。

 

私はといえばここ数日、机に向かってやるべきことが多々あり、自室にほとんどこもりっぱなしになっているからか、ここに記すことがろくすっぽありません。

というのは虚言です。何故なら、外に出ようと部屋にいようと名曲喫茶を開けていようと、「生きている」という状態(常態)において何ら変わりはなく、かねてより、ここに記している内容は外的要因や環境にはそれほど依拠していないように思うから。

それを証明するためにも(誰に対して?)、これから窓を開けて外気を吸いこみ、ひと息に今日の記述を済ませてしまいたい。ここ数日、食べたり飲んだりする以外にほとんど口を開いていないし、昨日、ちょっと運動でもするか……と思い立って久方ぶりに7キロばかり近所をひた走ってみたら、今朝、両足が「ばんばん」になっていた。いったいどうしたというのだろう? かれこれ10年近く、コンスタントにジョギングっぽいことを続けてきたが、こんな「へっぴり足」は我が足ながらこれまで見たことがない。しかし、両足はたしかに悲鳴を上げている。このままでは暫く走ることを断念し、ウォーキングに切り替えなければならないだろう。しかし、ウォーキングとジョギングは「足を用いる」という前提条件以外は全くの別運動なので、それで折衷というわけにはいかないのだが……。

などと私事を愚痴っていても仕方あるまい。とり急ぎ窓を開けて、外気を吸おう。

がちゃ。(窓を開けた音)

ばたん。(窓を閉めた音)

いやはや、「冗談通じない寒さ」とはまさしくこういう晩を言うんでしょう。何かしらやんごとなき事情がなければ、外に出たい気持ちなんてろくすっぽ芽生えちゃきませんわ。近所のコンビニまでドーナツを買いに行く気も早々に消え失せちまいました。

 

でも、10年くらい前は違った気ぃする。10年くらい前なら厚着してホッカイロを背中に貼りつけて自転車で片道30分の河川敷に向かっていたにちがいない。そして、帰りにデニーズで冷たいビールを飲みながらドコモ・ムーヴァのガラケーを用いて拙ブログの記事を更新していたにちがいない。それはたとえばこんな記事かもしれない。

凍えそうなほど寒い夜。僕はパーカーの上にピーコートを着て厚手のマフラーも巻いてミニサイクルにまたがり、川に向かった。

川べりの空気はぴりっと冷たい。しばらく走っていると、紺色のニット帽を目深に被った中年男性が水際でじっと佇んでいるのが見えた。時おり、彼の吐く白い息がまるで煙のように濃く見えて、ひょっとして煙草を喫っているのかな、もしそうなら「よかったら1本頂けませんか?」などと背後から声をかけてみたいところだが(その時、僕は煙草を恐ろしいほど強く欲していたのだ)、変質者だと思われそうだから、いや、もし思われないとしてもやめとこう。川べりでは誰もが誰からも声をかけられない権利がある。

とかなんとか。当時、ガラケーからではたしか500字程度しか更新できなかったのです。まるで文字数の多いTwitterみたいなものだった。懐かしい。

 

そして、こんなに寒いのに河川敷に向かうなんて、いや、向かったかどうかわからないのだけど、見知らぬ人から巻煙草をねだろうとするなんてきっと私も若かったんだね。

いや、そうなのか? 今、俺が自転車で真っ先に河川敷に向かわないのは、10年ぶんの加齢による「面倒さ」によるものなのか? 

違う、と信じたい。もっともらしい理由がいくつかある。たとえばミニサイクルのチェーンがすっかり錆びついてしまっていること(こぐだけで足が相当疲れる)。前述したように、久方ぶりのジョギングですでに足が「ばんばん」になっていること。夕食時に軽く清酒をきこしめしているから今、自転車に跨がったら「飲酒運転」になってしまうこと(最近はずいぶん取り締まりが厳しいらしい)。けどまあ(そういう口癖の友人がいる)、そんなのは全部言い訳に過ぎない。これから歩いて川べりに行ってこようかな(勝手に行け、とは君まで言うな)。

 

そういうわけで、今日も世界は外で出ようと出まいとまるっきり新しい。ぐっすり暖かい晩をお過ごしください。