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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

五嶋みどり生演奏(N響)について頂いたコメントへの返信

先程、以下の記事について頂いたコメント(rokuさん)の返事コメントを遅ればせながらせっせと記していたのですが、勢い余っていささか長くなりすぎ、コメント欄をはみ出してしまいそうなので(笑)、迷った末、そのまま本日の記事にさせて頂きます。ことをお許しくださいませ。

以下、上記記事に頂いたコメントを転載させて頂きます(ことをお許しくださいませ)。

roku

はじめまして。
私もこの10/23のN響定演で五嶋みどりさんの演奏を初めて生で聴き、感動に打ち震えたひとりです。
一緒に行った幼なじみが昨年末のEテレ「クラシック音楽館」でこの演奏会の放送を見て「みどりさんの後ろからのアングルの時に私たち映ってたよ」と言うので、番組を見損ねた私は何とかネットにこの放送がアップされていないかと探した時に、こちらのブログも見つけ、だいぶ経ちましたが今回お邪魔した次第です。
みどりさんのCDは何枚かスマホに入れて通勤電車の中で聴いたりと日常的に触れていますが、念願叶ったあの日の、ステージ袖から出て来た予想通りのあの小柄な姿と柔和な笑顔と、ひとたび演奏が始まってからのあの迫力は、一生忘れられないかも知れません。
主さん同様に私もショスタコーヴィチは、特にあの曲は、みどりさんの演奏で聴いても今まであまり好きになれませんでした。でもあの日はまさかの引き込まれ方でした。そして、前出の番組の動画を見つけ、改めて見、聴くとあの日の感動が蘇り、いまだに何度も繰り返し見て、いまだに毎回引き込まれています。
誘った友人は会場でもテレビでも改めて見ても鳥肌が立ち、泣きそうだと言ってました。
私の幼少時から、いつも豆を挽いてサイフォンでコーヒーを淹れ、カラヤンを愛し、いつもクラシックのレコードをかけていた父の一周忌が再来月に迫りました。
こちらのブログを見て、改めて思いを馳せました。主さんは父と話が合うかも。
私は何も詳しくこそありませんが、毎日キリマンを挽いて淹れ、前出の幼なじみとサントリーホールやNHKホールで年に数回クラシックを浴びに行く会社員兼主婦です。
この幼なじみは自らも木管楽器を教える音大卒、ご主人は世界でも活躍する金管楽器奏者と、クラシックが生活の一部という友人で、来週はオーチャードホールへ行きます。
元々は好きな辻井伸行さんを聴く為に取ったのですが、バイオリンのソロは大河ドラマのオープニング曲などで活躍する気鋭の若手の三浦文彰さん。同じ曲をみどりさんと聴き比べると物足りなさは感じますが、それでも初めての生演奏はとても楽しみです。
また忘れた頃にお邪魔するかも知れません。

rokuさん

はじめまして。この度は初コメントありがとうございます。当方、ここ数日はいささかバタバタしておりまして、落ち着いてから返信コメを……などと思っていたら、すっかり遅くなってしまいました。ごめんなさい。

rokuさんも昨年のあの日、N響にいらしていたのですね。あの演奏を聴いてからなんだかずいぶんと時が流れたような気がするのですが、実際にはまだ半年も経っていないことがちょっと不思議な感じがしております。

僕は現在、小さな名曲喫茶を営んでおりまして、クラシック音楽に触れる時間はずいぶん多いように思うのですが、再生する音源はおもに西欧の演奏家による古き良き録音物が大半を占めており、吾国の、とくに現代のクラシック音楽演奏家についてはほとんど知らず、聴く機会もほとんどありません(多分に意識的に遠ざけているところもありますが)。ただ、五嶋みどりさんに関しては母が好きなこともあり、かねてより音源にたびたび触れ、しょっちゅう新鮮な感動と感銘を受けてきたくちです。

 「生演奏を聴くことと録音物を聴くことの根本的な違い」とは、昔から飽きるほど言われてきたことですが、僕は昔からコンサートに足を運ぶよりも、一世一代の覚悟で録られたレコードを1人きりでくりかえし聴くことを好んできました(無論、コンサートも「一期一会」の覚悟で演奏されている一世一代のものですが)

しかし、記事本文に書いたことの繰り返しになりますが——あの日の五嶋さんによるショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」を聴いて、これまで数少ない録音物で聴いてきた経験や記憶は、この楽曲の本質(のようなもの)にかすりもしていなかったことを(他の方はどう感じるかわかりませんが、少なくとも僕は)深く感じて少なくないショックを受けました。このような経験は、これまで誰の楽曲によっても、また、誰の演奏によっても得られなかったことだったので。それで、どうしても所感を残しておきたく思い、あの記事を(無謀にも)書いた次第です。今でも、感じたことをろくすっぽ言語化できていないもどかしさはありますが、見知らぬ方からこのような偶然の反応を頂けることは僭越かつ喜ばしいことです。ありがとうございました。

 

そういえば、あの演奏を会場で聴き終えた時は、(放心しながら)「テレビやYouTubeではこの凄さの100分の1も伝わりっこない……!」などと思っていたのですが、のちにテレビ放送を(あまり期待せずに観ると)意外なほど、当日に感じた生々しい、得体の知れない印象が蘇ってくるのを感じてこれまた驚きました。当日は(距離的に)把握できなかったところも確認できて、興奮を適度に蘇らせながらも(笑)適度に冷静に観れました。
rokuさんの仰る通り、たしかにあの日(に限ったことではないのかもしれませんが)の五嶋みどりさんの演奏は筆舌に尽くし難い迫力と奇妙な存在感がありました。ネットなどを流し見ていると、五嶋さんの演奏を「イタコ」や「オカルトチック」などと述べていらっしゃる方が時おり見受けられます(その中には彼女に対する無意識的な畏怖と嫉妬心が込められていると感じることも多々あります)。僕は真逆の印象を受けました。「それそのもの」を表出するために必要なパワーとテクニックにみちみちた、きわめて真っ直ぐかつ誠実な演奏家だと。これも記事に書いたことの繰り返しのようなものですが——僕はあの日の五嶋さんの演奏から個人のエゴや人間的情動を越えた、混じり気のない、幽玄な波動(のようなもの)を感じました。「音楽演奏」という媒介を通じて、ショスタコーヴィチの核(コア)がフィルターなしでそのままに現出しているような……。そのような意味で、夢見心地であると同時に、きわめて醒めた現実、音楽的であると同時に、非音楽的で実在的な——ドミートリイ・ショスタコーヴィチという巨大な作曲家の生魂を正面きって味わうためのきわめて正統的な(というと語弊がありますが)、貴いほどまっとうな演奏を聴けたように思います。そして、またいつか五嶋さんの奏でる音楽の場に居合わせる日を心待ちにしています。

 

年に何度もサントリーホールやN響にクラシックを浴びに行かれるなんて、じつに羨ましい限りです。僕は世界中の(といっても海外はイギリスのホールしか知りませんが)音楽ホールの中で、サントリーほど素晴らしい音響を誇るホールはないと思っています。オーチャードホールも(長いこと訪れていませんが)居心地良い、素敵な場所ですよね。辻井さんと三浦文影さんのこと、僕はほとんど存じ上げないのですが、来るべき演奏会、めいっぱい楽しめますよう。

そうですか、亡くなられたrokuさんのお父様は新鮮なキリマンジャロとカラヤンがお好きだったのですね。それはたしかに楽しくお話しできそうです(笑)。ご覧の通り、かなりシリメツレツな当ブログですが、またお気軽にコメントくださいませ。

イツキ