読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

おやすみ in The LIMBO

今日も更新のための更新をしないといけない。俺は未だ中間地点に居るようだ。

今日は何曜日か? 水曜日か……とは言え、今日が何曜日かはたいした問題じゃねえ。

大切なことは「ここ」にいること。ここにいて、金輪際をしっかと意識していること。それだけだ。そうだろう?

 

今日は俺としてはいささか多すぎるくらいコーヒーと酒を飲んだようだ。陽が暮れてからは隣町の本屋に居たようだ。陽が暮れて、酔っぱらっていると、たいてい本屋かスーパーマーケットに行ってしまう。これは昔から俺の癖だ。

そこのしけた本屋では何を読むでもなくあれこれ棚から引っ張り出しては何頁か繰っては戻し、戻しては繰り、マーケットでは酒瓶やイタリア直輸入オリーブを手に取っては棚に戻し、棚に戻しては手に取っていた。原材料や価格をチェックしていたのだ。

しかし、今日は閉店直前のマーケットで「10%オフ」のシールが貼られた南瓜プリン、ポテトサラダなどを購入し、徒歩30分の道のりをぴょこぴょこ歩いて帰った。帰るカエルぴょこぴょこみぴょこぴょこ。

そうして今、それら食料品にはいっさい手をつけず、昨日買っておいた日本酒をきこしめし、いつもより3時間ばかり早く眠ろうとしてる。文句あっか。

 

はたして今日という1日(というフレーズは今、否応なしにNHK朝ドラの主題歌を脳裏に蘇らせる……)は、俺にとって、世界にとって、君にとって、何だったのだろう? 意味ない。なんて、意味ないよな。だからまあ、何でもいいが。

いつもとまったき同じ1日のようでありながら、それでいて掛け替えのない1日のようでありながら、個人的で、とりとめもない、浅き夢見し1日だった。そして俺はこうして、いつまでも酩酊ムードを漂わせているわけにはいかないようだ。

そろそろドストエフスキー『地下室の手記』でも読んで眠るか……。あの、ややこしくて高貴な『薔薇の名前』や懐かしきロラン・バルトの『恋愛のディスクール』、あるいはセリーヌ『なしくずしの死』のページを繰るにはいささか疲れすぎてる。ドストエフスキーの独房における独り言くらいが今の俺には丁度良い。そういえば妹の元同級生U(36歳男性)がポストにブコウスキーの文庫本を入れていってくれたっけ。ああ、ありがてえ、ありがとよ。

 

ソクラテス御大は『死が夢をみない眠りのようであったら最高だ』と言い残していたらしい。が、それにはまったく反対だ。今日も鮮やかで、くっきりした、現実と見間違うくらいリアリティのある幸福な夢を見たいのでどうぞ宜しくお願いします。

などなど、さっきから1文の得にもならねえことごとをつらつらと記しているのは、キーボード・ウォーミング・アップのようなものだ。今、いつもとは違う姿勢、違う道具、違う心持ちで記しているものだから。

言ってみりゃこれは「断崖の絶壁」。あるいはたわんだ綱の上に乗っかったまま、デイパックからノートパソコンを取りだし、立ったまま開いて記しているようなもの。綱はぶらぶら揺れている。俺の心もぐらぐら揺れている。けど、何処でも、何時でも、どんな心持ちでもこれを記せることを証明しないといけねえ。俺は綱よりは図太い性格だ。たとえあんたがそう思わなくても、そういうことにしておきな。

 

ああ、ここんとこ、本来的な気分、居るべき場所、使うべき道具でこれを記せていないよな。それを最高に感じる。たとえば平日の午前中から新宿の駅ナカカフェ『ベルク』なんかに行けたらって心から思うね。

そこで熱々のホットドッグときーんと冷えた生ビールと濃いコーヒーとプリンか何かを緑色のトレイに載せて、ホットドッグのパンがぱさぱさになって、コーヒーが冷めて、プリンに蝿がたかっていることにまるで気づかぬくらい、隅っこの席でこれを記し続けていられたらいい。真っ昼間の酔客のぎゃあぎゃあ喧騒が響き渡る前に。そして、あんたがカフェ・オレの入ったカップと文庫本を手に目の前にひょいっと座ってくれたら俺は心から嬉しい。そういう感じでひとつお願いします。