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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

春の嵐後、犬牙狼藉

この5日間の記憶が無い。

比喩的な意味ではなくて、本当にろくすっぽないんである。

たしかに5日のうち2日は我が名曲喫茶に従事していたし、仕事の後、友人と移転したばかりの蕎麦屋さん(蕎麦粉9割)で御酒をきこしめしたり、揚げたての天ぷらを仲良く分けあったり、蕎麦をたぐった美食的記憶は微かにある。バレンタインにSさんからキュートなうさぎ型クッキーの箱詰めを頂き、母からお月さまと♡の形をしたチョコレート・ブレッドを焼いてもらった記憶もちゃあんとある。なぜなら、どちらもさっき平らげたから。平らげる前に、それらの写真を撮ってここに載せるべきだったかもしれない。私は「ここぞ」という時に写真を撮らず、どうしてここで……というような場面でばかりシャッター音をかしゃかしゃ響かせていることで有名な男だ。今日はずいぶん久しぶり(5日ぶりくらいか)の記述だし、冒頭に貼りつける写真もないし、あの、あまりにも印象的な春の嵐がすっかり過ぎ去って、また心身をしめつけるような寒さに戻っていったような、いささか空しく、かなり寒く、せわしない何かにせっつかれているような弱った心持ちなので、そうした心身の通奏低音を反映し、改行なしで記すことにしよう。すなわち、今日は誰かにこの記述を読まれることをすっかりあきらめてしまっている。こういう態度は自分としては珍しいし、良ろしくないこと請け合い。誰かに読まれるつもりがないのなら、日記帳かオフラインのワープロソフトにでも記していればよろし。記した文章をわざわざネットに上げるということは、どういうことか? それは自分以外の存在に何かしら善きもの、有益なもの、明るいものをもたらすことを書き手が少なからず意思していることを意味する。あるいは、そうしようと試みていることを意味する。僕にとっては。いや、願わくば、僕にとってだけではなくて、オンライン上全ての記述者にとってそうであってほしい。もちろん余計なお世話だろうが。でも「王様の耳はロバの耳!」と叫びたいなら、洞穴の中、あるいは人気のない動物園なり王宮なりで叫んでいればいいことだ。個々の(例えば私の)つらつらとした心情は、なるべくなら普遍的、出来る限り共有可能な「大きな心」に昇華されることを望んでいる。焚き火の個性的な煙が空に昇っていって、やがてはすっかり見えなくなって、一切合切が一切合切に溶け入ってしまうように。だから、この場でひたすら改行なしに独り言を呟いているのは私にとってまあったく望ましい行為ではない。私の呟きもまた、煙のようなものであってほしいなあ……その煙が雲に帰依して、蒸発し、雷雨となって降り注ぎ、大地を潤してくれることをせつに願っている。しかし、この精神状態、この状況で、たまたまこのページを開いている誰かにどんな雨っぽい何かをもたらし得るであろうか? ばりばり、ぎゃあぎゃあ……

コウモリ、真っ黒いコウモリがばりばりぎゃあぎゃあ鳴いています。これは改行する好い機会。ここはひとつ真っ黒いコウモリに向かってわざとらしいくらい大きなため息をついて、も少し本来的な状態に戻りましょう。横文字を使うならば、「Return to myself」というやつ。そうすれば、上記の改行なき不機嫌な煙も、前説、あるいはプロローグになってくれるかもしれません。そのためには、改行なきプロローグ以上に長い「本文」をここに記す必要がありそうです。それも出来る限り具体的な記憶に基づいた記述を。具体的、たとえば、昨日の夜のこと。

寝しなにウンベルト・エーコという作家の『薔薇の名前』(上)という名作の誉れ高い、古典小説を読んでいた。ページはだいぶ黄色くなり、ハードカバーはすっかり痛んでいる。 

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

 

この本を購入したのはたしか20年くらい前だ。何でもかんでも読み漁っていた頃。しかし買ったは良いものの、当時の僕はたしか50ページほどで投げ出してしまい、それからは古本屋に売るのも気がとがめて本棚の肥しになっていたらしい。でも今回何となく20年ぶりに読み返してみて、1時間40分我慢し、序盤のいささか退屈かつ回りくどい状況説明/人物描写を過ぎると、驚くほど読みやすく、序盤からスリリングなストーリーテリングを醸し出していることが判った。この感じ、良くできた推理小説的味わいではないか……というか、まったき推理小説であるらしい。推理小説的純古典文学。そいういう意味ではガルシア・マルケス『100年の孤独』やフォークナー『サンクチュアリ』に感触は近いか。私の読書速度は若かりし頃と比べるとだいぶん落ちているように自覚しているが、読解力(のようなもの)と読書における粘り強さは(意外なことに)上がっていたのかもしれない。こういうのってちょっと嬉しいよね。そういうわけで、今日も暇を見つけて『薔薇の名前』の続きにとりかかるつもり。

……と、今はそんなことをつらつら記したい気分でもなかった。はっきり言って、今日はまったく不調だ。それというのも昨日、ろくすっぽ眠れていないからというのもあるだろうし、それ以前に(あるいはそれ以後に)、自分の波動(ヴァイブレーション)めいた何かが粗くて荒くて困る。まだ昼過ぎだけど、常温の清酒をふたくちさんくちきこしめし(ふたくちさんくちというのがコツだ)、20分くらい座禅を組みたい気分だ。そうしてみるか。

さて、この記述画面にはありがたいことに現在の総文字数が絶えず表示されているので、これが「2600文字」になったらキーボードを置くことにしようと思う。などと記したら、もう2500字。あと100字、何か記したいことがあるだろうか?

ふう。(大きくもないが小さくもないため息)

あと数時間もしたら、夕暮れがひそやかに訪れるだろう。ぼんぼりのように、線香花火のように、ダリアのように浮かんでいる夕焼けがそっと君の冷えた心に明かりを灯し、背後には見はるかす群青色の空がどこまでもどこまでも広がっている……そんな光景に君が今日も出逢えますよう。そのためにも、今しばらくじっとしていましょう……じっとしていれば、やがて夕暮れが荒んだ心を鎮めてくれることでしょう。ぷふいっ。