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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

あの空こそは……

f:id:lovemoon:20160210231607j:plain「何にも出来ない証拠です……」

小林秀雄は「おふえりや遺文」で書いていた(正確には小林秀雄の描いたオフィーリアが書いていた)。

 

今日も外気は骨の髄まで不敵にしみ込んでくるような冷たさで、足湯してても、うどん(舞茸と春菊入り)すすって御酒を呑んでても、猫に寄り添ってても、すぐに強固な冷たさにぐいと持っていかれてしまう。きりきりと締めつけられるようだ。

さらに「おふえりや遺文」より。オフィーリアは書いていた。

「生きている事があんなにこみ入っているくせに、何と簡単におしまいになる……妾(あたし)は今、何かが解ったのかしら、そうじゃないのかしら。ほんとに果てなのかしら。」

 

春の明け方に死を迎えんとしているオフィーリアと、スーパーの帰り道に夕暮れに出会った自分を重ねる気はないが、この空を目の当たりにすると、きまってそんなような気持ちになる。まだ寒くて長い夜はこれからなのに、夕暮れが今、まさに此の日を終わらせんとしている。さらば、夕。ってね。

 

1日の内で、夕方が1番好き。

というのはちょっとsentimentalに過ぎるかも知らん。しかし、この短く限定された刻は、たしかに何やかやの感情や忘れていたことさえも忘れていたような遠い記憶を喚起することが多い。

私は思い出すことが好きだ。

だから自室に居ても、喫茶店に居ても、地下の書店に居ても、なるべく夕暮れ時は外に出たい、出らんと目論んでいる(と言っても、実際に出られるのは週に1、2回しかないのだが。そして、出ても何する何処行くってわけでもないのだが)。

 

暮れなずむ空は、夕焼け小焼けの赤とんぼじゃなくても、染料を引っ繰り返したような群青色じゃなくてもかまわない。ティピカルな寂寥感や遠い君に思いを馳せる、ああ、オフィーリア……みたいのも今はなんだかまっぴらごめんだ。

そこに暮れなずむ空が広がっていて、できれば手元においしいお酒かコーヒーがあって、車がびゅんびゅん走っていなければ、それで過不足なし。ああ、早朝も真っ昼間も丑三つ時も、こんなにも君がここにいてくれたらいいのに(I wish you could've been here!)って気持ちにはならないよ。それは認めなきゃならない(I must admit it)。ああ、もう2週間用コンタクトレンズを交換する日だ……。

今日、陽の光は春を告げていた。

思えば、こんなに寒いけれど暦の上では立春を過ぎている。春ちゃんがよろよろと、しかし冬くんよりも力強く立ち上がりかけ、我々を氷漬けにしながらも実は何げに優しい冬くんがしっかと護っていたあれやこれやが「ぴしぴし」と音を立てて溶けようとしているのを確かに感じる。まだまだ氷漬けになっていたい。