水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

丑とキノピオ/田酒/ブッシュとゼルキン

f:id:lovemoon:20160202212509j:plain今、名曲喫茶店主らしく、押し入れの中でスノッブな微笑混じりの表情を浮かべつつ(今日、無意識状態における数秒のしかめっ面を母に指摘され、いささかロウバイしている私です)、ベートーヴェン『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ(Op.96)』アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)/ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)を聴いている。

The Busch-Serkin Duo -Live

The Busch-Serkin Duo -Live

 

もうずいぶん聴きなれた、それでもスリリングかつ融通無碍かつチャーミングに感じるライブ演奏。しかし、それだけには留まらない。何処か遠くて遥かな場所にぐいぐいと引っ張られていくようなサイケデリックかつ遠心的なるベートーヴェン演奏。それがたった今、終わった。羨望と戸惑い混じり(たぶん)のばらけた拍手が室内に響き渡る……60分だけでいいから、1935年にこの場所(コペンハーゲンのラジオ局)に居合せた聴衆になってみたい、と心から思う。そしたらこの両耳で生のステレオ演奏が聴けるのに。そしてシューマンのヴァイオリンソナタが始まる。思わず居住まいを正す(きりっ)。

しかし、冒頭のこのふざけた写真は何であろうか。や、とくに意味はありませぬ。2016年は午年で、著者は任天堂キャラでは比較的キノピオ君が好きで、保存していた貴重な田酒(青森の銘酒)を今、呑み尽くしつつある。ということをこの1枚で表現したかっただけにあります。

 

さて、今日の私は、いささか参っているらしい。や、或る意味、私は常に参っているし、或る意味では常に元気溌剌なのだが(空元気ではない)、今はこのアドルフ・ブッシュのぐにゃぐにゃヴァイオリン演奏(褒めています)に持っていかれ、自分もろとも得体の知れぬ場所に今にも持っていかれそうだ。

しかし、ルドルフ・ゼルキンの闊達なピアノがそれを引き止めてくれる。ゼルキンのピアノは明晰さそのものであり、無体なブッシュの演奏を強靭な車軸となって支え、同時に星を映す暗い空のように引き立てるピアノだ。ブッシュ/ゼルキンは「義親子」の関係であったが(ゼルキンの妻はブッシュの娘イレーネさんであり、その息子はご存知現役ピアニストのピーター・ゼルキン氏。息子ピーター氏が壮年期に録った「ゴールドベルク変奏曲」はたいへん素晴らしい)、その音楽的スタンスはあまりにも異なっている。

ブッシュはヘタウマで夢想的で「たが」が外れかけている。ゼルキンは明晰で、堅実で、朴訥としている。が、ブッシュに負けず劣らず夢想的である。ゆえに2人の演奏はどうしたって「夢」の領域に踏み込まざるを得ない。おいおい、そっちに行ってしまうんか……それも致し方なし。だから、聴いているとどこまでも眠たくなってしまう。ああ、このままベッドに倒れ込もうかな。まだ22時にもなっていないってのに……。おやすみなさい。

明日はきっと街に出よう。街を構成する1人になりたいです。そして消え入るようなシューベルト「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ D385」。僕はこの曲が本当に好きで、好きすぎて、どうにもしようもありません。そういう曲や人や思い出が多々ありまする。おやすみりん。