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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

限りなく1月めいた10日間の不思議(5)「柔らかい土の上の死について」

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近所をジョギングする時のコースはたいてい決まっている。思えば20代の頃からその道のりを走ったり、歩いたり、たまには自転車に乗ったりしてきたわけだが、途中(ちょうど中継地点のあたり)、僕の行動範囲ではもっとも広大な面積の空き地が開け、もっとも空が広がる地点がある。

その道は朝に通っても夕方に通っても深夜に通っても、いつでも僕にとって(あるいは近辺の多くの住民たちにとって)かなり特別な場所だ。どういう意味で「かなり特別」なのか。

 

その道沿いを走りながら空を見上げると、プラネタリウムのように、いや、プラネタリウムよりもずっと星々が鮮明に、しかるべき位置で煌々と光っているのが見える。大きく息を吸いこむと、湿った土のにおいがふうわり漂ってくる。そして毎回のようにこう思う。

「死を迎える時、この田んぼの土の上で仰向けになって空を眺めていられたら、本当に素敵だろうな」

不謹慎だろうか? 縁起でもない? 空き地の所有者や近所の人たちにしてみれば、そんなところで死なれたら至極迷惑きわまりない? いや、そうは思わない。思うだけなら自由だもの。それに「死ぬ時はここの土の上がいいな」って考えてる人は、この界隈にはきっと結構な数いらっしゃるんじゃないかと勝手に踏んでいる。

 

場所は大切だ。死ぬ時にはとくに。だって死ぬ時くらいは居たい場所に居たいじゃないですか。もちろん。でも、なかなかそうもいかないのが現代。死に往く人の思い通りにはさせちゃくれないことが多い。でも、願うのは自由です。そして僕にとってその時に願うであろう居所は、自室の布団の中か、ここの土の上しかない。今んとこ。

でも、こうも思う。

「だったら、生きてる今のうちにこの土の上に身を投げ出してみたらいいんじゃない?(辺りには誰もいないみたいだし)」

どしゃ降りの日、ここにやって来て、土の上にやおら身を投げ出してみるのはどうか? 泥まみれになりながら、ごろんごろん転げ回る。近くには、やはり泥まみれになったキャベツやら馬鈴薯やら人参やらが散乱している。激しい雨が身体や顔の泥をシャワーのように洗い流すが、転がり回っているから、やっぱり泥まみれ。転がり回るのに疲れたら、俯せになって身体ごと泥の中に埋まる。土も身体も農作物も一緒になって、まるで土葬されたような気分だ。

……というのもわるくはないが、常人らしく、やっぱり暖かい春の晩に、作物や草木を荒らさないように、そっと土に横たわりたいと思う。鳶色のワインとよれた煙草が1本あればなおよい。そんなことになったら、死んでても生きててももぉどっちでもよくなりそうだ。そして、君がそこにいてくれたらなおなおよい。

 

などと思いながら、今日もその道沿いをひた走った。たぶん明日か明後日も走るだろう。空を見上げながら。土の上の死を思いながら。ひゅうひゅう(風の声)。