水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

限りなく1月めいた10日間の不思議(4)「私を構成した9枚(前編)」

#私を構成する(アルバム)9枚 

というハッシュタグ(お題)が、Twitter内で流行っている(いた)ようです。

私も多くの人たちの9枚を拝見して「なるほど」「ふむふむ」「わかるわかる……」などと楽しんだ後、「自分の場合はどうだろう?」と、遠い記憶に思いを駆らせながらどうにか9枚選んでみました。

ちなみに、以下は私を構成「した」9枚であって、現在の私を構成「する」9枚とは異なるようです。以下の9枚は言ってみれば、その後に自分を構成する音楽的(価値基準的)嗜好の「土台」を作ってくれた盤といったところでしょうか。

でも、どうして10枚じゃなくて9枚? とちょっと思ったのですが、9枚だと綺麗に正方形に並べられて見やすいからなのですね。それだけのことだよ。では(ちょっと照れながらも)公開してみます。はいっ。

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並べてみると我ながら「ばらんばらん」もいいところ。だけど、自分の中では「やっぱりこうなるのか」というような深い感慨もあります。そういうわけで、これから1枚づつコメント文をつけさせて頂きます。なるべく短めにさらっと。

(並び番号)

 123

 456

 789

 

1 モーツァルト交響曲「第40番/第41番《ジュピター》」マールボロ管弦楽団/パブロ・カザルス(指揮)

名曲喫茶店主としては、先ずこれを最初に挙げないわけにはいきません。

初めて聴いた(あるいは初めて心を震わされた)クラシック音楽は、5歳ん時。アマデウス・モーツァルト「交響曲第40番」。これ、きっとクラシックとの出会いとしてはありふれていますよね。でも、本当のことだから仕方なし。

この40番は母が録音したか、母が誰かに録音してもらったカセットテープのА面に入ってて、B面にはベートーヴェンの『運命』が入ってて、こちらにも当然(別の領域で)激しく心震わされたのですが、とにかく、最初の1曲はこの40番。で、テープがすり切れるほど(実際、すり切れました)聴きました。この時に感じた擦り切れ直前の震えは、今も変わらず胸の奥に残っています。この震えが現在、名曲喫茶を営んでいる理由の1つと言っても過言ではない。理由もう1つは「ジュピター」。といっても、これは同盤に収録されている第41番(もちろん、これも大好きな曲です)ではなくて、この曲の名を冠した東京都国立市にあった名曲喫茶『ジュピター』のことです。15年前まで近所にあったこの名曲喫茶は、僕にとっての永遠の名曲喫茶モデルであります。

さて、この盤はオランダのマールボロ管弦楽団による演奏、指揮はチェロ奏者としてあまりにも有名なパブロ・カザルス。ベームやカラヤンのような一糸乱れぬ「完璧な」演奏ではけっしてなく、エモーショナルで荒々しく、ところどころでほつれまくりながらも、高揚と悦びと疾走する哀しみ(©小林秀雄)にみちみちた演奏が聴けます。私がささやかに営む名曲喫茶『月草』にもかなり傷だらけのLPがございますので、お気軽にリクエストください。

 

2 交響組曲 ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ……/NHK交響楽団/すぎやまこういち(指揮)

私は幼少期から随分な「ゲームっ子」でしたので、『ドラゴンクエスト』という大作RPGから受け取ったものは、ありとあらゆる意味でけっして少なくありません。日本の誇る、偉大なる作曲家すぎやまこういち氏がこのゲームのために作り上げた(慶賀すべきことに、氏は今でもドラゴンクエストのために作っています)楽曲はクラシックに慣れ親しんだ子供たちにも、そうでない子供たちにも、いち音楽としてあまりに多大なる影響と感動をもたらしました。ドラゴンクエストと氏の作った音楽は言うまでもなく、けっして切り離すことはできません。

このCDに収められた楽曲「冒険の旅」を初めて聴いたのはなんと「受話器越し」でした(当時、ゲーム雑誌でそんなサービスがあったのです)。それをカセットテープに録音して小学校に持っていき、放送室(当時、放送委員だったのです)の大きなスピーカーで聴きました。さらに給食時間にゲリラ的に校内に流し、教師にこっぴどく叱られたのも今では良い思い出です。

さらにこのアルバムは12歳の時、生まれて初めて買った(聴いた)CD音源でもあります。その時の新鮮な感動を忘れることができません。母が買ってくれたミニコンポの両スピーカーから溢れ出る、まるで水のように澄み切った音で響いてきた楽曲に心を潤ませながら、終えたばかりの「あの世界」での冒険の旅をまざまざと思い出していました。この道、わが旅(あ、それはⅡだ……)。

 

3 Chara『SWEET』

このアルバムを聴いたのは13歳の時だったか、14歳の時だったか。生まれて初めて聴いた「女性アーティスト作品」という意味でもとても大切なアルバムです。それまで耳にしていた、女性が歌う曲——CMや歌番組などで耳にしたアイドルの楽曲とは歌詞もサウンドも抜本的にあまりに異なっていました。彼女は僕にとって音楽的「先駆者」であり、わかろうとしてもわかりっこない謎の生命体でした。

Charaという、人を食ったような、素っ頓狂な名前の彼女による鮮烈なデビュー曲「Heaven」を深夜の音楽番組で初めて耳にした時、戦慄とともに、何か新しいものを知覚したような奇妙な覚醒感がもたらされました。そして発売日2週間後にレンタル店でかりてきたCDを雑にコピーされたモノクロの歌詞カード片手に夢中で何度も聴き漁った後、自分の中で何かが大きく変わっていました。

「何か」とは、何だろう? きっと僕は、このアルバムを聴くことによって、それまで概念としてしか理解していなかった「異性(なるもの)」を初めて実感として意識したように思います。その意味で、このアルバムは次に挙げるアーティスト岡村靖幸のアルバムと対になるような体験を与えてくれました。その異性(的)音楽体験はあまりにもリアルで、痛くて、わけがわからなくて、蠱惑的でした。このアルバムは僕が異性(なるもの)を意識する「入り口の石」としての役割を担ってくれたような気がします。

 

4 岡村靖幸『靖幸』

どうしたって忘れられないアルバム。オリジナル盤発売当時、青年14歳だった僕は、当時24歳の岡村靖幸が作り上げたこのアルバムを聴き終えると同時に、それまでぴくりとも動かなかった「別の心臓」がどくどく脈打ち始める音をたしかに聴きました。その時、僕は初めて魂の琴線に触れる音楽――ソウル・ミュージックを知ったように思います。

それから「凄いものを聴いてしまった」という喜びと「聴くべきじゃなかったのかも……」そんな後悔に似た思いがこんがらがって、胸元にざわざわこみあげてきたことを憶えています。今にして思えば、その複雑な感情はそれまで自分の内のみで処理してきた「やましさ」なるもの――打ち明けられない恋だったり、目覚めたばかりの性衝動だったり、「わかってくれない他者」に対するやりきれない思いだったり――を外界に向かって無防備にさらけ出し、完璧なクオリティで表現してみせた未知の音楽(家)に対する激しき動揺と畏怖の念だった。

「岡村靖幸」という音楽の核――「めくるめく」魔法のような、奇蹟のような、輝きのような、永遠のような……そんな説明不可能なモノたちは、このアルバム「靖幸」の中に、はちきれんばかりに詰まっています。それはあなたの見ている世界をまるまる愛おしく、可愛らしく変えてしまう「ポップス」という名の魔法であると同時に「思春期の正体」を完璧に暴いてみせる禁断の聖書のようです。その聖書はあなたのきつく締められた縄をするする解くと同時に、一度刺さったら簡単には抜けない太い楔をぐさりと打ち込むことでしょう。

 

ふう。やはり「私を構成した」というだけのことはあって、これらの盤にはあまりにも思い入れ強く、少々疲れてしまいました……ので、以下残り5枚はまた明日。