水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

限りなく12月めいた10日間の不思議(7日/8日め)

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クリスマスは両日ともにかなり「あったか」でした。こんなに色とりどりのダウンジャケットを見かけなかったクリスマスは珍しかったように思います。

私はといえば、かなり薄着で、隣町の映画館で『I LOVE スヌーピー』という、CGのスヌーピーやチャーリーブラウンたちがスクリーンで大活躍する映画を観ていました。映画館はがらんがらん、とは言わないまでもかなり空席目立っていました。イブの晩にわざわざ映画館でスヌーピーを観ようという人は私が予想していたよりもずっと少数派だったようです。映画に赴く人はけっこう多いと思うのですけど。クリスマスに観るのにもっと相応しい映画が他に上映していたのか? それはわからないけど、とにかく、私はイブの晩、『I LOVE スヌーピー』を観ていました。

 

それで今、迷っていることは、この先の文章を、『I LOVE スヌーピー』の感想に費やすべきか、あるいは、上記の映画を観たことも含め、私個人のイブの思い出について記すか。迷う。でも、いつまでも迷っていてもしょうがないので、ちょっとコーヒーを淹れてきます。

熱い濃いコーヒーを淹れてきました。さらにヘルシオで温めたシナモンロールもあります。というわけで、コーヒーを飲み、シナモンロールにぱくつきながら、この映画について思ったことをまず箇条書きにして、翌日にも少しまともな長文にとりかかることにしました。言ってみれば、スヌーピーレビュー草稿。では、いきます。

映画『I LOVE スヌーピー』について

①私は原作(コミック版)においては、筋金入りのピーナッツファンである(と言っていいと思う)。

②しかし、アニメ版のスヌーピーはそれほどたくさん観てきたわけではない。

③アニメ版に関して、「こんなのスヌーピーじゃない!」とまでは言わないが、原作とは全くの別物だと思っている。

④原作とアニメ版が別物だと考える理由は、画風(原作者のオリジナル画はコミックのみ)の違いが最たるものではない。最たる理由は、「スヌーピーの考えていることが視聴者に伝わらない」という点だ。原作では、他の登場人物同様、スヌーピーにも吹き出しがついていて、読者には、彼の考えていることが言語として伝わるようになっている。※ただし、黄色い鳥・ウッドストックの言葉はスヌーピーの解釈・翻訳を通じるしかない。

⑤今回の映画版も、上記アニメの方法論・世界観を採用しているため、スヌーピーの思考が具体的には観客に伝わらないようになっている。

⑥なぜ、アニメ版のスヌーピーの考えていることは視聴者にわからないのか、また、わからせないことでどのような効果が生まれるのか? その主題で800字程度の考察が可能であろう。

⑦(話は変わって)チャーリーブラウンとは何(誰)か? それはまごうことなくアメリカ(人)の「良心」であろう。ではスヌーピーとは何(誰)か? これは人によって多くの意見/解釈があるだろうが、僕は「飼い犬であり、同時に神である」と考えている。では、飼い犬とは? 神とは?

⑧スヌーピーは今や、「Most famous dog in the world」(そう書かれたTシャツやトレーナーが世界中に出回っている)である。チャーリーブラウンもそう(Most famous boy in the world)、かもしれない。つまり、丸頭の子とビーグル犬は世界に遍く存在する存在と(おそらく1960年代頃から)なった。それでも、まだスヌーピーがとくべつに「或るアメリカ」を象徴しているように思われるのは何故か?

⑨この映画には、スヌーピーのドッグ・ファイト(爆撃機による空中戦)が何度も押し挟まれる。その効果とは? スヌーピーと古き良きアメリカと戦争……このテーマだけで長い論文が書ける人もいるだろう。

⑩スヌーピーは無敵であり、不滅であり、融通無碍であり、ビーグル神である。

⑪スヌーピー万歳!

⑫総じて素晴らしくチャーミングな映画だったが、苦言をひとつ。字幕版なのに、エンディング後に日本人の歌が強制的に流れ出したのにはじつに興醒めであった。

以下、とりいそぎ箇条書きでした。(後日まとめます、や、もうまとめなくてもいいか?)。