水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

限りなく12月めいた10日間の不思議(3日め)

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今日は年末に向かっての《名曲喫茶 vs 生演奏》第2弾(戦っているわけではないですが)『クラリネット・デュオ・ミニコンサート』が催されました。催された、というといささか大袈裟ですが、とにかく1時間、当店で奏でられたのです。これから本格的に音楽活動を開始するであろう若き演奏家(岡部麻美さん/中村眞紀さん)の2人が当店でぴかぴか輝くクラリネットを吹き上げてくれました。以下、演奏曲。

①讃美歌 あら野のはてに
②C.ケクラン:2つのクラリネットのための「牧歌 」op.155bis
③J.J.ルソー:2つのクラリネットのためのエア
休憩
④W.A.モーツァルト:12の二重奏曲

嬉しいことに、お客さんは予想以上にたくさんだったし、皆さん、2人の演奏を心から楽しんでいたように見えました。吹いている方も聴いている方も、いつものように本を読みながらコーヒーを飲んでいた方も。

個人的感想を申しますと、淀川さんじゃないですが、いやあ、生演奏っていうのはホントいいものですね。昨日も今日も心からそう思った。

昨日のギター演奏は、深夜、パーティの酔いを醒まそうと、石で造られたらせん階段を上っていたら、ふいに踊り場に出て、そこで普段は昼間しか会わないアザラシがヒゲをぴんとさせて、街を見下ろしながら黄昏た表情を浮かべているのを目にしたが、声はかけずにおこう。っていうような心持ちにさせてくれたし、
今日のクラリネット演奏は、よく晴れた肌寒い冬の朝に冷たいベンチに腰かけていたら、どこからともなく幼子の囁きが聴こえてきたので、じっと耳を澄ませていたら、いつのまにかそれは羊の鳴き声に変わって、ベンチは午前11時20分の日だまりに包まれていた、といった気持ちを呼び起こさせてくれました。

 

さて、モーツァルト「12の二重奏曲」が奏でられていた午後2時40分頃、私はたくさんのお客様のためにいつになく大量のコーヒーを淹れながら、耳は演奏に集中しつつ、幾分個人的なことを思い出していました。それはおおむね、今朝の夢です。

他人の夢ほど興醒めなものはない、とはよく言われることですし、僕も基本的にはそう思っているのですが、今朝、やけにくっきりした夢を見て、僕は淀川さんじゃないですが、「いやあ、夢ってホント良いものですね」と心から思ったのです。たいていの夢は憶えていないか、憶えていてもだいたいがナイトメアなので、よりいっそう。

(夢について具体的に述べるのは難しいのですが)頑張って具体的に言うなら、

愛し、愛されているという実感を伴った束の間の生命時間のことを思い出したのです。光彩煌めく、ぬるいプールの中に両足沈ませて、淡い幸福感を感じながらゆっくりと歩いていました。直喩です。ドアを開け、出会い、瞳と瞳が放った光線が優しく、直截に、正しく交差し、自然に手を重ね合わせ、同じ景色をふたつの心でともに感じているっていう奇跡をともに感じているっていう奇跡を最高に感じました。きっと「ジェンダー」とはこのような経験のメタファー、あるいは便宜上の顕在なのではないか? ぬるい水の中を歩きながら、らせん階段を上りながら、冷たいベンチに腰かけながら思った。愛しさとか満たされなさとかやるせなさとか絶望とか真理を垣間みたような一瞬の覚醒感とか悲しみとか使命感とか欲望とか諦めとか達成感とか、そういうのは、芸術や人生の主題になるくらい巨大だけど、やがて(あるいは急に)、柔らかい、異質な毛布にふんわりと包まれて、ちょっと意外になるくらい「あれれれ」と思う間もなく、彼方に飛んでいっちゃった。

そんな魔法めいた瞬間を、無理に言葉にすれば「恋」とか「愛」とか「神」とか「さよなら」とか、そういうのになっちゃうんだけど。でも、言葉にする必要はきっとなくて、夢の感じは夢で感じたままにしておくのが良さそうです。

 

 

ねえねえ、今日はどんな1日だった?(と私が誰かに問う。誰かが私に問う)

そうだね、君のビッグ・アイズからすれば、相当に慈悲深く、普遍的で、愚かしく、麗しく、いかにも地上的な1日が立ち上がってくるだろうが、この限定されたいち個人——すなわち私——の近視眼(0.1以下)から見れば、名曲喫茶を営む痩せた男が猫に起こされ、ばたばた雑事に追われながら夢に思いを馳せたりして、店仕事の後は蕎麦屋で友人とちょい呑みの誘惑にあらがえず、そのままはしご酒して帰宅してからもしつこく呑んでいるうちに、身も世もなくなってしまったような心地がするが、現実は目の前に厳然と現前しているし、さあ、明日も頑張ろうというような1日であったよ。おやすみりん。