水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

アドルフ・ブッシュという名の暖かい泥(まごころを君に)

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というタイトルだけど、今日はアドルフ・ブッシュ(という名のドイツ生まれのヴァイオリニスト)のことは多くは書かない。たぶんここ数日の、自分の日常(的雑感)について1200字ばかり記すだろう。ということは、記す前からだいたいわかるものだ。

でも、このところの自分の日常には多くの時間、アドルフ・ブッシュの奏でる(あるいは指揮する)音楽が流れていたはずだから、このところの自分の日常について記すことは、いわばアドルフ・ブッシュ(的何か)について記すことでもある。ようするに、たとえ何を聴いていても、今日の通奏低音は、沈黙、あるいはアドルフ・ブッシュの音楽が流れている、というようなことが言いたいわけだ。 

ふーん(懐疑的ため息)。

ところで、昨日は名曲喫茶仕事だったのだが(今日も。午前中のドタバタ時間の中から頑張ってこれを記す時間を捻出しました)、そのうち半分くらいはカール・ベーム指揮するウィーン・フィルが1975年にNHKホールで演奏したLP4枚組をかけていた。このコンサートは滑らかで華やか、かつオーケストラが終始「ぴたっ」と壮大に停止しているような瞑想的演奏で、僕はぱたぱたと仕事しながらも(名曲喫茶とはいえ忙しない飲食業ですので)、陽光がきらきら反射する浅瀬を静かに流れる水のような演奏に心はうっとりしていた。

この伝説的コンサートにおけるベームの選曲は相当に多岐に渡っているが、曲順も含めてばっちり緻密に考えられていることがよくわかる。聴衆の心が終盤に向かうにつれてぐんぐん高まり、ひたひた恍惚に浸っていくのが曲間の拍手と歓声からも伺える。「一糸乱れぬ」とは、ベームとウィーンフィルにとっては何ら褒め言葉にならないだろうが(言うだけ野暮だろう)、ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が一糸乱れず、荘厳に、高らかに鳴り響いた(という物言いがこの曲ほどしっくりくる曲もそうはないよね)時、

「わあ、カスタトロフ!」

という言葉が俺の頭に去来したのだが、それは誤用というか意味不明というか知ったかぶりというか、本来は「カタルシス!」あるいは「ここを先途!」、いや、ちがうな……きっと正しくは、

「オーケストラ!」と己の魂が叫んでいたように思う。

そのシンフォニアそのもののような『マイスタージンガー』によって、それまで私をぐじょぐじょ覆っていた心地よく、謎めいた、暖かい泥的通奏低音がぐぐぐっと変わった。泥だらけの身体ごと清潔な浅瀬に引き上げられたような気分だった。

私は何か気恥ずかしいような、気ぜわしいような心持ちで、シャワーを浴びて着替えるように、アドルフ・ブッシュ指揮するバッハ「管弦楽組曲 第2楽章(Air)」をCDで流した。その演奏はたどたどしくも暖かく、ところどころほころびながらも、丁寧に仕立てられた茶色いツイードジャケットのようだった。カール・ベームなら絶対にオーダーすることのないような代物だ。そして今の心は「まごころを、君に」。そんな感じにあります。