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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

熱海道中記〜エピローグ(7年後の雑感)

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この4日間、続けて再載した7年前の「熱海道中記」を久方ぶりに読み返してみて。当時は思いつき、あるいは行き当たりばったり、あるいは自分内ギャグっぽい心持ちで熱海くんだりまで足を伸ばしたように思っていたのだが、改めて振り返ると、あの1泊旅行は(一応)自分の内的必然に促されての無意識的行動だったことがようやく理解できたような気がする。

7年前の自分はきっと、距離や時間の経過によってすっかり失われたであろう「何か」。そして距離と時間の経過によってけっして変わることない「何か」。その両方をこの目で確かめたかったのだろう。肌身に感じ、手で触り、波打ち際に足首をつけて実感したかった。そして、それはたしかに熱海サンビーチにあった。同時に、熱海サンビーチにはとっくにもうなかった。

その失われていない、あるいは失われてしまった「何か」とは、ほぼ100%、自分の内にも埋まっている(いた)ものだった。だから、本当は眠い目をこすりながら東京駅から新幹線に乗り、旅館の女将と布団を巡って交渉し、夜が更けるまで砂浜を往復し、古い「すかいらーく」(数年前に閉店したとのことです)で美味しくないカレイの煮付けを食べる必要など全くなかったのかもしれない。自室で一升瓶と干し柿を傍らに置いて、21の頃に初めて訪れた熱海に思いを馳せれば、得心できる類いのものだったのかもしれない。でも、あの時はどうしても自分の足を使って、熱海に行きたかった。熱海それ自体が目的であり、媒介であり、象徴であった。「意義ある無駄足」といったところだろうか。

私は熱海サンビーチで「それ」の消失と健在をばっちり確認し、翌日、安心して東京に戻ったように思う。子供が宝物を埋めた場所に人目隠れて赴き、スコップで掘り返し、また元の場所に埋め直して、安心して家路に着くように。

 

それから7年間、私は熱海を1度も訪れていない。今のところ、訪れる予定もない。今生であと1度くらいは行ってみたいような気もするが……その時はちゃんとまともな旅館に泊まって、熱い温泉に浸かって、おいしい御飯にありつきたいものだ。(現在の熱海の街並みはいったいどんな風だろう? 観光地として見るからに衰退しているのだろうか。あるいは若い人たちの努力によって、盛り返しているのだろうか。また訪れる日まで、敢えて検索などしないでおこう)

 

この熱海再訪から3年後(2011年)、僕は初めての海外旅行(ロンドン)に赴き、熱海で失ったものをもう1度見つけ出し、「ハックニー」という小さな街にそれを埋めて帰ることになるのだけど……その話は(もし読んでくれる方がいたら)いつか記したいと思います。

ともあれ、旅はいいものです。行く先が何処であっても、人の内面を愛撫し、鼓舞し、忘れたくなかったけれど、いつのまにか忘れてしまったことさえもすっかり忘れてしまっていた何かをふいに思い出させてくれることがあります。have a nice trip everyday : )