読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

熱海道中記(再載)其の四

f:id:lovemoon:20151125145015j:plain

〈Re:〉 
元気してますか? 東京は今、どんな気候ですか? 君の心もようはいかがですか? ぼくは「熱海サンビーチ」っていう、ばっちり整備された海岸近くの「すかいらーく熱海店」でわりに酔っ払いながらこのメールを売っています(ほら、打ちまちがえた!)。窓際の隅っこの席。時刻は午前0時半。あと3時間もすれば、夜行列車「ムーンライトながら号」が熱海駅に到着します。そんな列車の存在を夕方、駅の張り紙で知って、その場で切符を購入しました。新幹線よりちょっとだけ安かったよ。

 

もしうまいこと宿が取れたら明日の夕方までここにいたかったんだけど、夕方からずっと海辺にいたから寒いし、眠いし、お金もあんまり残ってないし、CDプレイヤーのバッテリーも切れかけてるしで、もう帰りたくなっちゃった。結局、熱海にいた時間は20時間たらず――こんなの、旅とはとても言えないよね。短かすぎる(そしてやたら値の張る)「逃避行」に過ぎない。でもまあ、「気分転換」にはなったような気がする。とくに何してたってわけでもないんだけど。やったことといえば、そうだなあ、宿でお風呂に入って、3時間寝て、コーヒーを飲んで、海辺で酒を呑んだ、ホントにそのくらい。そっちに居る時と変わり映えしないよ。でも、砂浜を歩けることが嬉しくて、とにかくずいぶん距離を歩いた気がする。スニーカーを砂だらけにしながら。

 

で、あまりにも寒かったし、お腹も空いてきたからここ「すかいらーく」に入ることにしたってわけ。他に開いてそうな店、どこにもなくて。どこかに深夜営業のまともなカフェはないかなって、繁華街を歩き回ったんだけど、なにやら怪しい店ばっか。ストリップ劇場とか、1杯いくら取られるかわかったもんじゃないバーとかスナックとか。そういえば、「熱海銀座通り」っていう商店街もあったな。あ、そうそう! さっき、5分咲きくらいの桜の木を1本見つけたから写メを送るね。熱海はあったかいから早咲きなんだろうなあ。たしかにこの時間になるとけっこう寒いけど、冷たい風に生命の気がみなぎりつつある感じがする。

 

あ、さっき頼んだけんちん汁が運ばれてきた。椎茸は入ってないから安心。

 

うわ、けんちん汁、あっつい! 昔、ジョナサンでバイトしていたことのある友だちに「ジョナサンのメニューは全メニューがレンジでチン、だよ」と聞かされたことがあるけど、ひょっとしてファミレスってどこでもそうなのかな。デニーズのきつねうどんもそうなのかな。コーヒーも? まさか。まあ、この時代に電子レンジ否定したら外食産業が成立しないことはよくよくわかっているけど、君も知っての通り、ぼくはあんまり使わないようにしてる。だって、妙に熱くなるんだもの。このけんちん汁みたいに。

 

ふう。ふう。ふう。(冷ましている)ようやく、丁度良い熱さになった。じゃ、これからしばらく、けんちん汁に集中しますので中断。
はい、食べ終えた。でも、なんだか余計にお腹がすいてきた。手元のメニューを見てみると、お、「かれいの煮付け膳」がある。もしかして、このかれいはそこの海で陸揚げされたかれいなんじゃないか……よし、いちかばちか頼んでみるか。
(注文から約10分後、「かれいの煮付け膳」が運ばれて来る)
……魚を食べるのってけっこうひさしぶりな気がするな。いただきます。

 

(食べ終えて)いやはや、かれい、熱海産なのかどうかよくわかんなかったよ。レンジでチンしたわりには温い感じだったけど。まあ、それなりに美味しかったからよし。
それにしても、もう0時を回ってるっていうのに、このすかいらーくってば、ずいぶんたくさんお客さんが入ってくるんだ。いかにも地元のヤンキーっぽい若者たち、おそろいの浴衣を着た熟年男女、湯上がりの日本酒か何かで顔を真っ赤に染めた男たち。正直、落ち着けるとは言いがたい。食後の1杯を呑もうと思ったけど、早々に出ることにします。あ、なんだか手紙みたいに長いメールを打っちゃってごめん。どうか返信は気にせず。あ、たぶん朝6時には駅に着くと思う。君が起きてたら一緒に朝マックでも行きたいよ。では、またね。
 

 

すかいらーくを出るとすっかり夜は更けていて、海岸にも街にも人の姿は見えない。夜行列車まであと2時間ちょっと。再びセブン・イレブンに行って、今度はビールではなく、白ワインのハーフ・ボトルを購入。ワインをどこかのベンチで座ってたらたら呑んでいれば、列車が来る頃には良い感じにあったまってるんじゃないかと思って。

だけど外は半端じゃなく寒いうえに、風が強過ぎて吹き飛ばされそう……北風に立ち向かうようにして温泉宿の立ち並ぶ石階段を駆け上がり、通りに出ると駅に向かって足早に歩く。

 

ようやく辿り着いた商店街のベンチに腰を下ろし、ワインをプラカップに注ぎ、ぐいと呑む。だけどあまりにも寒いからか、すでに一日中呑んでいたからか、なかなか思ったように身体があったまらない。この際ウイスキーにすれば良かったのかもしれないが、それで正体不明になるほど酔っぱらって、「ムーンライトながら号」を乗り過ごしたらシャレにならんからな。そのくらいの思慮深さは呑み助のぼくだってどうにか持ち合わせていた。

白ワインはフランス産のもの(名称は忘れた)で、コンビニで売っているものにしてはそれなりの値段だったけど、正直、それほど印象に残らない凡庸な味だった。定番のチリワイン「サンライズ」でも買ったほうがきっと良かった。どうして赤ワインや日本酒にしなかったのだろう? わからない。旅先では思ったように動けないことが多々あるのです。

ワインを半分くらい呑んでしまうと、なんだか自分が「間違った方向」に酔ってきていることにふいに気がつく。いささか危険を感じてきたので、立ち上がって熱海駅へと急ぐ。

 

熱海駅前でこの時間(午前2時)に営業しているお店は2軒しかない。ファミリーマートと笑笑(わらわら)である。旅先では居酒屋には入らないというのがぼくの基本的方針なので、千鳥足でファミマへ。雑誌の陳列棚を見やると、オズ・マガジンがおいしそうなパン特集。列車の中で読むものがないから買うか。それと、エビスビール500ml缶で白ワインの酔いを醒まそう(水を呑め、とは君まで言うな)。

駅前のベンチに座って、冷たい風が吹きつける中、冷たいビールをちびちび飲みながら、「ムーンライトながら号」が来るのを待ちながら、ゴドーを待ちながら。うー、頭がうまく回らん。あと1時間もこうしていたら、風邪をひいちまいそう。しかも、猛烈に眠い。ああ、熱い風呂と暖かい布団が恋しい……我慢しろ、もうじき、このあまりにも気まぐれな逃避行も否応なしに終わるのだから……この逃避行について何か感慨、というか雑感のようなものはあるか? あるといえばあるし、ないといえばないし。

ひとつだけ言えるのは、ぼくはこれからも気分が落ち込んだ時、暗いうちから新幹線で熱海に向かうことを厭わないってことだ。熱海はいつだってぼくを受け入れてくれるから。熱海はけっして誰かを拒否したりしないから。熱海は崩れゆく砂のお城を思わせるから。それは熱海が緩やかに崩壊に向かっている観光地だとか、栄枯盛衰を感じさせるとか、何かをあきらめているとか、そういうことを言いたいわけじゃなくて。とにかく、熱海はやさし……はっくしょん! ああ、あと1時間もこうしてなきゃいけないのか……ああ、あすこのドトールがこの時間から開いていればなあ。

(熱海道中記・完)

f:id:lovemoon:20151125144820j:plain