水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

熱海にいったい……(熱海道中記再載・プロローグ)

 

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

 

先日、散歩がてらにM書店の店先を覗いてみると、村上春樹の新刊紀行本『ラオスにいったい何があるというんですか?』が平積みになっていた。

それで、何も考えずにレジに持っていくと、レジのお姉さんに、ありがとうございます。1700幾らです、カバーはおかけしますか?とオートマチックに、矢継ぎ早に言われ、え〃、そんなにするなら隣町の本屋で立ち読みでも良かったか……などと一瞬後悔したのだった。

ともあれ結局購入し、さっき読了した。この本についての書評(のようなもの)は機会があれば記すかもしれないが、機会がないかもわからない。

結論のみ言うと、この著者にしては、それほど胸に響く本ではなかった。著者の久しぶりの紀行本と言うことで、『遠い太鼓』『もし僕らの言葉がウィスキーだったなら』『シドニー!』といった一連の傑作紀行本級を期待してしまったのだが、そういった類いのものでは全くなかった。もっとずっと肩の力が抜けているし、量も気概(のようなもの)も随分とコンパクトである。熟練(と言うべきか)の作家・旅人の経験に基づいた余裕めいたものがそこここに伺えた気がした。「そういうものです。」と言われたら、返す言葉はないのだが。

余談だが、冒頭『チャールズ河畔の小径(ボストン1)』などは、10年近く前に読んだ『走ることについて語る時に僕の語ること』(こちらはたいへん素晴らしいメモワールです)で読んだのと(ほぼ)同じ文章から始まっていたので、まさか、1章まるまる抜粋されているのか?(だったら買うんじゃなかった……)などと再び後悔していたのです。しかし、さすがにそんなことはなかった。出だしの数十行はほとんど同じでも、すっかり改稿されていました。

だが、しかし、とにかく。しつこいが、この新刊は全編通して、「村上春樹の紀行本」として僕が期待していたようなものではなかったのです。「読者」というのは勝手なものですが、本を買う時、数ページでも立ち読みは必須ですね。でも、あなたが買うつもりなら止める気は全くありません。 何のかんので読ませますし(偉そう)。何ならお貸しします。

 

熱海道中記・再載の前に

さて……前置き相当に長くなりましたが、昨日、友人Аさんとお酒を酌み交わしている時のことでした。

Аさんに上記の本の話をしていたら(「村上春樹の新しいエッセイ本さ、あれ、あんまり面白くなかったんだけどさ、フィンランドについて書いてあってさ、Аさんって、フィンランド似合うよねえ」みたいなことをヌーヴォー片手に)話していたら、Аさんが、ふいにかつて僕が熱海について書いたブログ(すでに閉鎖されている古いブログ)のことを教えて(思い出させて)くれたのです。まったく、「とんでも記憶力」と言わざるを得ません。何しろ書いた僕ですら、そんなものを記したことをすっかり忘却していましたし、そのブログじたい7年前に閉鎖しているのですから。

 

それで今日、久しぶりに閉鎖したブログを探し、ログインして読んでみました。うーん、とても、すごく、じつに懐かしい。若い。 しかしながら今、僕が得るべき何らかの旅人的spiritがここにある気がしないでもない。くだんの村上春樹の紀行本の向こうを張る気は全くありませんが、この懐かしく情けなく孤独な熱海道中紀を備忘録の意もこめて(ほぼそれのみ)ここに分割・再載してみようと思います。けっこう長いうえに写真も当時(ガラケーで撮った粗写真)のままなので、熱海サンビーチの砂浜のように広い心でお読み頂けると幸いです。

それでは、ゴー・バック・トゥー・7年前の熱海。(つづく)

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