読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

夕方について(続き)

f:id:lovemoon:20151107220838j:plain

ついこないだ、4連休で忙しなく働いていたと思ったら、もう週末の朝がやって来ました。タイム・フライズ。あと30分もしたら、焼き立てのトーストくわえたまま、名曲喫茶に出かけなければ……。

それはさておき、昨晩記したはずのブログをたった今、読み返してみました。そしたら、何やらいけすかない物言いや事実無根なことごとが記してあったので、自分自身にいささか腹が立ちました。昨晩はそれなりに記憶はあるので、寝しなに「夕方」について何やかや記したことは一応憶えていたのですが、こんなこと記しているうちは、あまちゃん、あるいは「青二才」と呼ばれても仕方なし……そう思い、自分を少しでも戒めるべく、こうして朝からキーボードを叩いております。

 

昨日のブログとはいえ、以前に記した記事を引っ張り出すのは、なるべく避けたいのですが、自戒と反省の意味をこめ、引っかかった箇所を引用します。昨日、私はこんなことを書いていました。

幼少の頃ーーあるいは大人になってからでもいいですが——帰り道にしょっちゅう通る公園なんかで、缶ビールやワンカップを片手に顔を赤らめて、

全ては終わった。だから、今は何もかも知ったこっちゃない。

っていうような、もはや話が通じなさそうな、赤らんだ顔して、ベンチにふんぞり返った、いけすかない御仁を見かけたことはありますか? 今日、自分はきっとそんな気分だったように思います。

夕方について - 水と今

いや、そんな気分だったはずはない。「いけすかない」のは私のほうだ。「顔を赤らめてベンチにふんぞり返った御仁たち」に謝罪しなければならない。幼少の頃、ベンチや公園で見かけた彼らの域にも、粋にも、昨日の私はろくすっぽ達していない。十年早い。どころか、200年早いというものだ。

缶ビールやワンカップ片手に顔を赤らめ、ベンチにふんぞり返った御仁(ここでは男女含む)たちは皆、それぞれに様々な人格、人生、状況下であったはずで、彼らはきっと、「全ては終わった。だから、今は何もかも知ったこっちゃない。」そんな単純で乱暴なことは露ほども思っちゃいなかったはずだ。たとえ、もしそんなようなことを思ったとしても、そういう思いは花火のように打ち上げられては消え去り、星のように明滅し、焚き火の煙のように天に昇り、雨にかき消されたり、遥かな記憶をふうわり蘇らせたり、時には言葉では一切何も思わず(思えず)ただ、惚けて(呆けて)いるばかり、だったかもしれない。そうして、熟れすぎた果実のように地面に落ちたり、身を横たえたりしながら、それぞれの酒をどうにかこうにか呑んでいたにちがいない。

昨日の私もそうだった。とくに何かを考えてもいないし、諦念気分でもないし、前向き気分でもなかったし、ただ、うつらつらとしていた。そんな時、「何考えてたの?」と訊かれたって凄く困る。言えることは何もないのだもの。

 

夕方は何も考えていない、あるいは言葉に出来ないことを思える時、そういう名づけ難い心持ちをすっぽり包みこんでくれる時間。だから、好きだ。だから、今日も夕暮れ時になったら公園で酒が飲みたい……と、今、そんなようなことを思いながら支度しています。明日も夕方についての考察は続きます(たぶん)。