水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

木のひげ『林檎のプチ・パイ』の季節

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今年もこの季節がやってきた。

今日、母と隣町で外食をした帰り道、行きつけの自然食品屋さんに立ち寄ってみると、大好きな多摩センターの天然酵母パン屋さん『木のひげ』季節限定スイーツ「林檎のプチ・パイ」が並んでいた。いや、それはウソだ。1個だけ置いてありました。

こういう時、私はしばらく頭を抱えてしまう(おいおい、兄ちゃん、どうした?と店主がレジから叫ぶ)。なにしろ、俺はこのプチパイをこの10年間、さんざん食べてきたのだ……もし今、ここで俺が買わなけりゃ、明日か明後日、まだこのプチパイに出会ったことのない無垢な誰かが「あれ、なんだかおいしそうなアップルパイあるや。」とかなんとか思って、レジに持っていくかもしれない。とすると、今、俺がこのプチパイを購入するということは、誰かがこのプチパイと奇跡的な出会いを果たす貴重な機会を奪ってしまうことになるかもしれないのだ。いや、きっとそういうことになるにちがいない。

しかし、俺は好物であり、初物であるこいつが今とてもとても食べたい。ウォーターグリルで11分焼き上げ、上に乗った林檎はかりっとしとっとさせる。パイ生地はさくっとぎゅぎゅっとさせる。そして、熱い濃いコーヒーとともに、熱いうちに熱がりながら頬張る……。

しまった、そんな自分の見事な食べっぷりを思い出していたら、まるで夢遊病者のようにふらふらとレジに持っていってしまった。俺はこのプチパイを新しい誰かに出会わせることより、勝手知ったる自分の欲望を優先させたわけである。だが、しかし。

だが、しかしと思う。もし今、ここで俺が買わなかったら、このプチパイはあと3日の賞味期限内に誰にも手に取られることなく、廃棄処分されるかもしれないじゃないか。俺にとって、ここ『木のひげ』商品はその全てが甘露であり、宝珠であり、生ものである。享受されずに捨てられる、なんてことはあってはならぬ。

だあから、これで良かったんさ。と袋を抱えながら1人頷き、ぎこちなく微笑み、帰宅する。このプチパイを食べたがっていた俺自身も、このプチパイを食べて感動したかもしれない誰かも、宇宙から俯瞰すれば同じ「ONE」であり、俺がこれを頬張っているのと同じ時間軸と時空の上で、何処かで(高幡不動で、上北台で、代々木上原で)誰かがこの林檎のプチパイに舌鼓を打っているかもしれないのだから。

そういえば、と疑問に思う。この「林檎のプチ・パイ」はいちどきにどのくらい生産され、流通するのだろう? 50個? 100個? 1000個? まさか。1000個はない。なぜなら、俺は数年前、多摩センターにある『木のひげ』本店(カフェ・工場併設)で、ここの商品を全て司っている(というか、文字通り作っている)たった1人の職人さんに挨拶を交わしたから。あの人は、まるで禅僧のように(もちろん禅僧にも色々いるだろうが)澄んだ瞳をしていた。あの人が優しい顔でそっと頷いた時、文字通り、背後でパンの神がにっこり微笑んだような気がした。あんなに魂がこもった商品を1000個も焼くのはそれはもう大変だ。ともあれ、あそこは本当に素敵なパン屋さんだ。とくに寒くなると行きたいって強く思う。

話がだいぶん遡り、飛んでしまった。そう、木のひげの「林檎のプチ・パイ」の話。

今年もこれが時々食べられるって思うと、も少し生きていよう、も少し生きたいよって気になる。それはべつに大袈裟じゃなし、とくに暗い気持ちでもない。人は何か(誰か)によって生かされているのだから。パンしかり、恋しかり、親しかり、友だちしかり、娯楽しかり、音楽しかり、本しかり、酒しかり、小動物しかり、麺類しかり、コーヒーしかり。俺(君)が誰か(何か)を求めることなしには、誰か(何か)が俺(君)を求めることなしには、この人生なんて、ちんちくりんだよ。そうじゃないか?

 

『木のひげ』ホームページ(通信販売もあります)↓

http://www.din.or.jp/~kinohige/index.html