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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

リメンバー&サンクス・東西書店

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毎日のように、すでに閉じた東西書店の前を横切っている。そして、シャッターの前に無遠慮に横並びになったたくさんの自転車を眺めるたびに、「ああ、このシャッターがもう開くことはないのだな……」と痛感させられる。自転車め。

 

東西書店が閉店してから早いもので、もうじき2ヶ月経つ。自分とほぼ同い年のこの本屋の最後を見届けるために(そして最後に何か本を買い求めようと)駆けつけたあの晩が昨晩のようでもあり、数年前のことでもあるようだ。 (あの晩→42年続いたT書店。その閉店日 - 水と今

 

閉店直後、Twitterなど覗いてみると、それ系(書店関係?町興し系?)の方々が、したり顔で(かどうかは知らないが)こんなようなことを述べたてていた。うるおぼえ抜粋。

「ポリシーもなければ、品揃えもたいして良くない本屋があの立地でこれまで続いたことが不思議なくらいだ」

 

「閉店日に、あそこまで多くの人々が集まったのは予想外だったが、あれはただの地元民の野次馬根性だろう」

 

 「いったい、どれだけの人があの書店で日常的に本を購入していたというのか?」

 

 「もし、駅ナカに現代風のセレクト系書店が出来たことによって、T書店が潰れたのなら、我々はむしろ諸手を上げて喜ぶべきかもしれない」 

まったく、言いたい人には言わせておけばいいさ。ただし、彼らは何もわかっちゃいない(あるいはわかっていないのは僕のほうかもしれないが)。 書店の価値は所謂品揃え「だけ」にあるのではないのだ。ポリシー「だけ」にあるのではないし、センスの良さ「だけ」にあるのではけっして、ない。

「品揃えとポリシーとセンスの良さは書店の価値に非ず」と言っているわけではない。ただ、42年という歳月によって育まれた、言葉にしたらぽろぽろとこぼれ落ちてしまうような、営利と目に見えるファクターでは測れないものがあったはずだと言いたいだけだ。それは歳月が培ってきた「関係」であり、茫漠とした「思い」であり、あの書店に足繁く通っていたお客さん、働いていた人にしか(きっと)わからない「何か」である。

 

無論、ここ国立市の大通りに昭和30年代から脈々と続いてきた老舗『M書店』、今年新しく出来た駅ナカブックストア(というのが相応しいだろう)『PW』。主観的に見ても客観的に見ても良書店であろう。 M書店は自ら「国立のインディーズ系書房」を名乗るだけのことはあって、東西書店にはけっして置かないようなマイナーなエッセイや思想書、学術系にも昔から随分と力を入れてきたし、駅ナカ書店『PW』は店の雰囲気も店内設計も選別された書籍(とくに文学とデザイン関連)もセンス良く、だだっ広いカフェも併設されているし、にもかかわらず(と言うべきか)、私の営む小さな名曲喫茶のショップカードを常時置いてくれる、じつに「わかってる」新鋭書店である。ゆえに、僕も両書店にはよく本を買い求めに赴くし、これからも通うつもりだ。

しかし、私は幼少期から閉店した先日まで、M書店に勝るとも劣らず東西書店に足繁く通ったし、こうしてわざわざブログに記すくらいの愛着を抱いてきたようだ。

 

どうしてか?

 

東西書店はとにかく「入りやすい」店だったから。流れる空気が「街の本屋」ならではの古き良き「らしさ」を体現していたから。そこにはスノッブさと気取りを廃した(というより最初から存在しなかった)、いつまでも立ち読みできるような古き懐かしい居心地の良さがあった(すみません。しかし2時間以上立ち読みした時は文庫本1冊は購入することを心がけていました)。そこに売られているのは「ただの本」であり、本以外の何物でもなかった。餅屋は餅を売り、焼き芋屋は焼き芋を売り、本屋は本を売る。その潔いまでの直接性は昨今ではむしろ貴重になりつつあるように思う。

その理念も明確であった。以前知り合ったここの元書店員いわく「とにかく雑誌とベストセラーとマンガがよく売れるのでそこに力を注入しています」。たしかに、コミックとライトノベルの品揃えは市内でもっとも充実していたように思う(僕自身はどちらも疎いジャンルだが)。店内は適度に明るく、雑誌の立ち読みを咎めることもなく、レジカウンターでは煙草やチョコレートまで販売していた。煙草を買いに来た「ついで」に本を買っていくお客はかなり多かったはずだ(そういうの、なんだかパリの本屋っぽくもありますね)。

このような「ゆるい」雰囲気の書店が毎日、午後23時まで営業していたということ。それはこの街の本屋好き、夜更かし住民たちにとってはじつに有り難い営業形態だったにちがいない。子供も老人も気楽に入れて、遅くまで開いていること。雑誌が気軽に立ち読めて、必要最低限の新刊、オールタイムベスト的新書や文庫本がいつでもストックしてあること。そこには「街の本屋」のあるべき姿があった。

もちろん、東西書店が閉店したのは時代の変節による必然だったとは思う。経営的に「立ち行かなかった」事情もありそうだし。「小さな本屋さん」の閉店は今や全国においてドミノ倒し的に起こっている現象であるし。だから閉店したことに抗議したいわけではけっしてない。むしろ納得と感謝しかない。 東西書店は、最初から最後まですこぶる贅沢な、国立らしい「街の本屋さん」であった。

 

今日も自転車がびっしり並んだ薄汚れたシャッターの前を通ると、あんなにもゆるく、書き割りのように本屋らしい本屋がついこないだまで「ここ」にあったことが夢か幻のように思える。ありがとう、東西書店。そして明日も明後日もシャッターを開けるM書店と駅ナカブックストア『PW』にはぜひ「リアル書店」の灯火を絶やさぬよう、いつまでも頑張って頂きたいと「いち本屋ファン」としてせつに願っております。