水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

ブッシュ/ゼルキンのソナチネが喚起する「とれたてホップ」

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たった今、帰宅し、ブッシュ/ゼルキンの奏でるベートーヴェン「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」を聴いている。作番は忘れた。今日は(も)いささか酔っているし、けっこう疲れているから、確認する気になれない。ともあれ、5番「スプリングソナタ(春)」ではない。何かもっと、緩やかで、「眠り」を感じさせるような曲だ(「スリープソング」とでも名づけたい)。

かねてよりこのヴァイオリンソナタが大好きなのだが、ブッシュ/ゼルキン以外の演奏では聴いていない。もちろん他の演奏家によるレコードも所有しているのだが、敢えて聴かないようにしている。自分の内でこの曲のイメージがこの演奏ですっかり固まってしまっているらしい。たとえばこの曲をケンプとメニューインが演奏したら(あるいはギーゼキングとハイフェッツが演奏したら)、それはきっとくらくらするほど見事で味わい深い演奏だろうが、僕の心にはそれほど沁みないように思う。あるいは僕が想像しているのとは全く違った感動をもたらすのかもしれないが、「全然別の感動」がもたらされることを拒否しているようだ。

クラシック音楽にかんして、僕にはそういう頑ななリスナー気質(と言うべきか)がけっこうたくさんある。だから、クラシック音楽コンシエルジュ(そんな職業あるのか?)にはまずなれそうもない。そして、「フルトヴェングラー原理主義」とか「ショパンはポリーニとアルゲリッチしか認めないぜ軍団」とかにはあんまり入りたくないですね。だけど、もっと歳を重ねたら、そんなようなことを言い出すかもしれない。そうならないように細心の注意を払おうと思う。

今、ちょうどベートーヴェンが終わり、シューマンの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」に。これは多くの演奏でかなり聴き慣れた曲だが、じつはこの曲においてもブッシュ/ゼルキンの演奏が1番好きだ。それは認めなきゃならない。ライブ録音で、ブッシュの体調不良などもあって、幾分(いや、かなり)「よれよれ」演奏ですが。でも、よれよれでも好きなものは好きなンです。

ブッシュのたどたどしいヴァイオリンに合わせているかのように、小さなハエが私のお猪口の周りをぐるぐる旋回しています。蝿は日本酒に目がないと言いますからね。このくらいは許してあげましょう。しかし、私はこのシューマンを思いきって飛ばして、シューベルトの「ピアノとヴァイオリンのためのソナチネ」(Op.137 No.2←シューベルトはだいたい「そら」で憶えている)に変えた。蝿は幾分戸惑っている。たぶんぶん。

聴きながら、隣町のだだっぴろい公園と多摩川に思いを馳せる。思いを馳せないわけにはいかない。それというのも、昔、多摩川に向かって自転車を走らせながらこの曲をしょっちゅう聴いたから。この曲はアンダンテ(第2楽章)がじつに心をそそる。ひたむきで厳しい冬の情景を思わせるようなメロディから、諦念と牧歌、そして穏やかなる情熱、といったような旋律が出現し、支配し、明滅する。これはまったき秋の曲。そうでなくても、そう決めておきましょう。

本当言うと、今日は発売したばかりの秋冬限定醸造ビール「とれたてホップ」(麒麟)のことを記そうと思っていたのです。僕にとって、このビールの味わいは、ベートーヴェンとシューベルトのソナチネとけっこう深いところで結びついているように思うから。しかし、それを記すためにはベートーヴェンとシューベルトを聴くだけでは足りなくて、「とれたてホップ」をぐいぐい呑みながら記さなければならない。でも、今は手元にないのです。

僕にとって、「とれたてホップ」という名の缶ビールの味わいはいつだって、いつかの(たぶん震災前の)冬に結びついています。寒くて冷たくて、でも、五感は自分でもびっくりするほど研ぎ澄まされていて、何らかの極北をひしひしと感じさせるような、特殊な芳香を鼻腔と喉に絶え間なく送り込んでくるのです。こうした季節限定飲料の凄いところは、たとえ消えても何食わぬ顔で、まったく同量(あるいはそれ以上の)エネルギー量を携えて戻ってくる(あるいは、いつでもそこにある)こと。少しずつ変わっていく(あるいは死んでいく)のはいつだって、それを味わうこちらのほうで、「とれたてホップ」そのものは、毎年工場で一定量生産され、その味わいは毎年(ほぼ)微動だにしない。それを味わうことは、私と過去の「定点観測」のようなものだ。「とれたてホップ」を呑みながら、私は自分が数年前の自分とは驚くほど別人であり、しかし、哀しいほど同じ自分であることを身をもって体験する。体験したい。そういうわけで、これから「とれたてホップ」を買いにセブンイレブンに行ってきます。おやすみりん。

The Busch-Serkin Duo -Live

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