水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

蕪について

昨日、寝しなに味噌とオリーブオイルを塗ったクラッカーをたくさん食べたからだろう。今朝、よろよろと台所に行って水を飲み、しばらくしてから人参ジュースを飲み、紅茶を飲み、今、お茶もたくさん飲んだけど、まだからっからに乾いている。なんなら、これから近所のカフェにきりっと冷えたビールを飲みに行きたいくらいだ。でも前日のお酒がまだ抜けていないからやめておこう。

現在は昼過ぎで、意識はかぼす入り柚子胡椒のように明瞭だ。ただ、ひどくノドが渇いているだけだ。窓の外では、何やら聞き覚えのあるメロディがオルゴールで奏でている。それから、抑揚を欠いた中年女性の声(録音されたものだろう)が響く。

「子供たちの安全のため、地域の皆様の見回りをお願いします……」

続きがあるかと思って耳を澄ませていたが、そこまでだった。平日の昼過ぎには、毎日このオルゴールとスピーチが近所に高らかに鳴り響いているのだろうか? それは何らかの犯罪抑止効果を生み出しているのだろうか? 

 

remember.

 

昨晩は九州から古い友だちが上京していて、あちこちの店で「はしご酒」して、それから別の友人グループも合流し、珍しく、相当に酔っぱらってしまった。そうしてさっき、当ブログの前日の記事(10/18参照)を開いてみると、全く記した覚えのない記事がアップされていて、相当に面食らってしまった。しかし、確かに自分で記したものらしい。

おそるおそる読んでみたが、内容も(われながら)あんまり面白くないので、すぐに削除しようと思ったが、「自動更新された記事」の貴重な記録(きっと、これからも度々あるのだろうが)になるかもしれないので、印象深かった個展の写真を貼り、ちょこっと加筆訂正だけして残しておくことにした。(そういうわけで、なるべく読まないでください。)

それにしても、書いた覚えのないブログを加筆訂正するというのは、かなり妙な気分だ。成績の芳しくない生徒を持った小論文の教師は、採点のたびにこういう気分を味わっているのだろうか。だとしたら、私にはとても出来そうもない。Twitterを頻繁にやっている方なんかは、翌日、自分が酔っぱらって呟いたツイートを読んで自己嫌悪に陥ったりするのだろうか。ありそうです。やっぱり、言葉を持った人たるもの、己の言葉には責任を持たないといかんですね(自戒)。

 

remember.

 

今、少しずつ昨日のことを思い出している。夕方、映画好きの友人Jさんが1年ぶりに私の営む名曲喫茶にやってきて、彼を目にした時、咄嗟に、先週観た『岸辺の旅』という映画における浅野忠信の登場シーンを思い出した。

Jさんは同映画について並々ならぬ、とくべつな、個人的な感動を覚えたらしい(たしかそう言っていた)。それが無意識のうちに私の記憶に残っていたからそのシーンを思い出したかもしれない。あるいは、もともとJさんが浅野忠信に似た幽霊なのかもしれない。

僕自身はその『岸辺の旅』という映画は別の友人の強い勧めもあって、映画館まで観に行ったものの、内容に対してとりたてて言うべき感想を持たなかった。

でも『岸辺の旅』を観てからというものの、「幽霊」というテーマが自分の中にどっかと居座っているのを感じる。いや、きっと前々から居座っていたのだが、その映画に描かれていた「死者(なるもの)」と僕が捉えている死者(なるもの)にあまりに大きなギャップがあったので、戸惑い、改めて考えざるを得なくなってしまったというべきか。(※『岸辺の旅』が良くなかったというわけではなくて、良い/良くないと表明できるような「磁場」が自分の中に見出せなかったということです、念のため)

 

思えば、生きている者も、ある意味、幽霊ではないかしら? 死んだから幽霊になるのではなくて、存在は、生きているうちからすでにして幽霊なのではないかしら? そうだとすると、「幽霊」という言葉ははたして何を言ったことになるのだろう? 在るのは、在る(或る)スペースと在る(或る)存在だけだとしたら、「無」という言葉はいったい何を意味するのだろう? 「無」と「死」は直結するイメージだろうか? 

「無」という言葉から、僕が想起するものはまず、「蕪(かぶ)」である。字が似ているということはあまり関係ない。煮た(煮なくても良いけれど)蕪のことを考えると、その味から、佇まいから、なんとなく「無」なるイメージが自分の中を満たす。それはほんのり甘くて、優しいけれど、厳かに孤絶した味がする。たとえば「おでん」には決して放り込みたくない味だ。きっと「浮いて」しまう(ポトフなら、まあアリだが)。

蕪は単体で小さなお皿に載せて、箸先でそっと割って、温めた味噌か何かをつけて静かに口に運びたい。子供の頃、蕪が嫌いだった。食べると味気なくて、ひどく心もとない気持ちになった。今は、恋にも煮た、もとい、似たとくべつな感情を持っている。この気持ちはきっと死ぬまで変わることはなさそうだ。ああ、蕪の煮たやつ、食べたい。そこにボルドーの白ワインか、辛口の純米酒があればなおいい。