水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

ありふれた、ありがたい金曜日のこと

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陽が出ているうちから隣街(立川という地方都市のように巨大な街)に赴いた。とくに買うつもりのないショッピング(所謂ウィンドウ・ショッピング)が好きだ。イヤフォンを付けたまま1人で歩き回り、陳列されている服や靴を触ったり、適当に手に取った本のページを繰ったり、おいしそうな酒瓶や食材を眺めているだけで、自室や名曲喫茶にいるように落ち着くことができる。

まず、ビックカメラでイヤーフォンの試聴をした(Boseのノイズキャンセリングイヤフォンが欲しいのだが、あまりにも高すぎて……)。テレビゲームフロアで3DSとWiiUのソフトを物色した。(『スーパーマリオメーカー』というゲームがたいへん面白そうなのだが、今の私の人生にスーパーマリオのコースを作成してアップしている時間と隙間はなさそうだ)デパートに入っているお洒落な本屋で、文庫本を数冊立ち読みした。(今、欲しい本はだいたい海外翻訳小説で、かなりたくさんある。人生が終わるまでにどれだけ読めるだろう?)

ルミネの食料品売り場で梅干し(これは切らすわけにはいかない)と家で食べるカレー用固形ルーを買い、南武線(という、わりとローカルな路線)に乗って、隣町にある最近お気に入りの食事処で母と待ち合わせた。母はまだ着いてなかったから、金平牛蒡を「あて」に冷酒をちびちび飲んでいた。しつこくまとわりついてくる蚊と戦いながら……。

ようやく母が来たので、「鯖の塩焼き定食」を注文した。母は「秋野菜カレー」。鯖は油がよく乗っていた。乗り過ぎているくらい。鮭にするべきだったかもしれない。あるいは鯖の味噌煮にするべきだったかもしれない。それともメンチカツにするべきだったかもしれない。でも、私は私が選んだ鯖の塩焼きを主体的に平らげた。それについてはそれなりに自分を誇っている。
食後、歩いて隣町に戻る。夏の終わりっぽい外気の中、自転車を引いて歩く母と話しながら歩く。親子らしく、気の置けないこと、昔話っぽいことを15分くらい話す。それはとても有意義で美しい時間だった。母は自転車に乗って先に店に向かったので、途中からは1人で歩いた。店まで40分くらいかかるが、それほど長く感じない。むしろ、走りたいくらい。でも、呑んでいるから走らない。

 

それから数時間、なんやかやの忙しない集積の後、無事にこのモニターの前にいる。明日は名曲喫茶仕事。クラシックギターの生演奏が入る日だから、今からわりと緊張してる。思えば、今週はずいぶんのんびり過ごした。親しい人と以外、ろくすっぽ喋らず、ほとんど自室か本屋にばかり居た。きっとこういうのが自分の性に合っているのだろうが(もし主夫か書店員になったら、それなりに無口で有能な主夫か、書店員になれるだろう)、再来週からはもう少し生産的に、対外的に働かなければならない。

そういえば、先日、新宿で会った古い友人(妻子持ち)が「自分だけのために生きるのは限界があるよ」と言ってたっけ。「そんな、まっとうなこと言うなよ」と返したのだが、言いたいことはよくわかる。
あと20年(あるいはもう少し長く)生きるつもりなら、他者のために生きる、あるいは誰かのために全力で尽くしたい。少しだけ自然にそう思えるようになってきた。思ったからってどうってこともないけれど。

じゃあじゃあ、おやすみ。心やすい週末を。

 (それにしても、このブログはいつになったら、も少し「読める」ブログに仕上がってくれるのだろう? かれこれ10年以上ブログっぽいことをやっているが、きっとこのブログの「退屈さ」は過去最高だろうと自分でも思う。でも、どうか長い目で、ね。)