水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

どしゃぶりの中、傘もささずに飛び出して……

今日も朝から降って、降って、降り続いていた。そして今(深夜)もばしゃばしゃ降り続いている。昨日はあんなに晴れ渡って、ちょっとだけ秋めいた、でもちょっとだけ夏の湿りけを残した外気をぷんぷん辺り一面に漂わせていたというのに、ね。

どうやら昨日で夏は完全に終わったようだ。それはきっと共通認識だった。昨夜、街や公園で見かけた誰しもが、それを了解しているような名残惜しいような、慈しむような顔つきをしていた。(きっと君も例外ではなかった。)

俺は季節に出遅れているらしい。ペールエールの新鮮な風味と、大皿に盛られた揚げた馬鈴薯(ほこほこ)と、水辺と、白葡萄酒の香りがまだ舌に残っている。

翌日、夜のことだった。買い物帰り、エクセルシオールにビールを飲みに行こうと思い、傘をさして駅前に向かって歩いていた。しかし近くまで来たところで「そうか、T書店はもうない。」思い出し、足が勝手に踵を返していた。俺が思っていたよりもずっと、T書店の消滅は生活や心もちに大きな影響を及ぼすことだろう。強く実感した。

そう、俺にはあの本屋がいつだって必要だった。最近出来たばかりのカフェ併設のお洒落っぽい本屋、大通りの地元を代表するような個人経営系書店に文句は全くない(むしろ有り難いと思っているが)、俺の「心の本屋」はT書店、あれ1軒しかなかったんだ。失ってみてそれがはっきりわかった。それは品揃えの問題ではなかった。(営業時間の長さは多少関係あるかもしれないが。)

しかし、T書店を懐かしむにはまだ、日が浅すぎる。とにかくT書店はない、名曲J(15年前まで存在していた老舗名曲喫茶)はない、J門(7年まで存在していた老舗喫茶店)はない。となると、この街で俺がくつろげるBook Store&Cafeはもう存在しないということだ。その3軒は俺が1メートルもない頃からこの街に確かに存在していた。でも、今はもうない。2大喫茶Jにかんしては、もはや憶えている人もそれほど多くはないだろう。だから俺はそれらの店のことを考えると、なんだか幼児の心までも失ってしまったような思いがする。

だから、せめて。俺が1メートルもない頃から存在したあの場所で、誰かがくつろげるような喫茶店を(週2日でも)開けていたい。誰かには買ったばかりの本を持って短い時間でもくつろげる、ちょっとばかり暗くて、かなり静かな場所がどうしても必要だ。誰が何と言おうと。いや、これにはきっと多くの誰かが何も言わずに賛同してくれることだろう。そういう誰かさんたちのために私は名曲喫茶を営んでいる。その自覚をもっと深めなきゃならない。

いったい、今日の俺は何を書いているのだ。主題(みたいなもの)がどうもはっきりくっきりしない。だいたい、どうして人称代名詞が「俺」なのか。どうもしっくりこない。どうやら、今日の俺はどうかしているようだ。いや、どうもしていない。いつもどうかしているから、いつも通りだ。そうでなくてもそういうことにしておこう。おやすみなさい。