水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

だから今日もっ。

だって、目の前にはちっちゃなノートPCがあるし、どのみち、私には走るか(酔っぱらっているから今は走れない)、呑むか(もはやちびちびとしか呑めない)、記すことしかできないんだし……。

だから、これを誰かが読んでくれようと、くれまいと、記述がたどたどしかろうと、下手っぴいだろうと、つまらなくたって、センス・オブ・ユーモアに欠けていたって、これは俺のワン・アンド・オンリーの(それなりに)大切な所感記なんだっ(幼児のプライド)。それに、放っておいてもどんどん更新されていくような「オートマチック・ブログ」になるためには、無理やりにでも「弾み」をつけないといけないし。

 

それで……それで……なんだっけ? そう、今日は名曲喫茶仕事に従事していた。やはり、名曲喫茶勤務時間は私をばっちり本来的な時間へと戻してくれる。コーヒーとクラシックと他者と、すなわち「世界」(かぎかっこ付き)と繋がるチャンスをくれる、まこと得難き時間である。だから、今日は先にありがとうを言わせてもらいたい。サンキュー。

店でコーヒーを静かにドリップしている時、入り口のドアが、きいっ……と小さな音を立てる時、レコードをターンテーブルに載せる時、お客さんの座っているテーブルにおそるおそるコーヒー(ケーキでもカレーでも)を持ってく時、「それ」を最高に感じる。ぞくぞく、わくわくする。8時間も続けていたら、半日なんて光陰矢の如く過ぎ去ってしまう。時間が矢の如く過ぎ去る時、私はここにいない。「そこ」にいる。

 

昨日、「或る生きものを現出させるために店を開けている」などと、何やら気取って記しているが、何のことはない、今朝、店の掃除をしてる時に思った。自分はただ、何か(誰か)の為になりたい、役に立ちたい、あるいは、何かしら波紋を広げたいだけなのだなあ。波紋とは、ある空気であり、音楽であり、波動(vibration)である。だって、今、僕は(あなたは、彼らは)生きているんだもの。生きている限り、波動や波紋や音楽は「つきもの」である。いつだって、それをびしびし感じてたい。自分は、「感じてたい」病なんじゃないか。感じていなかったら死んでしまうかもしれない。

 

先日、Twitterを見ていたら、或る知人が「自分は生きているというより、息をしているだけ。ただワインが飲みたいだけ。」と記していて、うまいこと言う。心の内で、深く頷いた。僕には、いや、誰しもが生の実感が必要である。でも、「生の実感」なんて言ってる時点で、本当の実感から遠くかけ離れてしまっているから、そんな時、どうすればいいか。僕は(君は)それを識っている。

食べに(呑み)に行けば良い。外気を感じに行けば良い。誰かに会いに行けば良い。そして、(何よりも)恋をすれば良い。

でも、出かけるのは恣意的に(こっちの勝手に)出来ることだが、恋はちょっとね。そう簡単にはいかない。恋とは、落雷とか稲妻とか、ヒョウ(降ってくるやつ)みたい。それは、こっちでどうにかするというよりは、災害に近い。恩恵に近い。シアー・ハート・アタックに近い。詩に近い。

そんな時、個人的に読みたい、読むべき本がある。それがこれだ。できれば、これらの本のことは内緒にしておきたかった。そういう本があるんです。明日は、明後日で閉店になる駅前のT書店に『荒地』(T.S.エリオット)を買いに行こう。『月と6ペンス』(モーム)も買おう。『ロリータ』(ナボコフ)も買おう。止めてくれるな。

たんぽぽのお酒 (ベスト版文学のおくりもの)

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