読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

今日は何を記したら良いのか?

たとえば、誰かと何処かへ行って何か思った、何かを食べて何か思った、こんな音楽を聴いてこんなこと思った、こんな本を読んでこんなこと思った、或る映画を観てこんなふうに思った……そんなようなことを律義に、面白可笑しく、読み易く記している人たちに、いつだって感嘆の念を禁じ得ない。僕には簡単にはできそうもない。あるいは、最初からそういう気持ち(何かについて真面目に記す気持ち)でひたむきに、真っすぐにやってたら、できるのかもしれない。でも、今はできてなぁい(~o~)

僕が営んでいるあれこれは、そうした具体的で現実的で生産的なことごとからますます遠ざかっていく傾向にある気がする。このブログも、名曲喫茶も、日々の生活も。このレコードを入手して、あの年代のあの演奏が、あの演奏家が……そういったことごとよりも、音楽やコーヒーや空間を通して、店ぜんたいに漂う雰囲気が、何か説明不可能なサムシング・スペシャルをまとってくれること——店に関して言えば、それのみに興味がある。つまるところ、店主たる私は「或る生きもの」を名曲喫茶という空間に現出させるために(それはまだ、せいぜい尻尾の先くらいしか見えないのだが)、週に2日ないし3日、店を開けているということだ(もちろん、店を維持するためにはある程度の売り上げも必要なのだが)。

さて、(本題に戻って)現実に、具体的な対象/媒介を設けるということについて。それは他者に対する寄り添い、あるいは愛(のようなもの)であると思う。たとえば、このブログ。いったい、何処のどなたが、名曲喫茶を細々と営む男の(どちらかと言えば重たい)ストレートな心中に興味を持つだろうかか? 僕だって、誰かの主義主張や明るい(暗い)心中がそのまま記されたものよりも、何か(たとえば君が好きなもの)について記されたものが読みたいと思うよ。

公(おおやけ)に公開された文章というものは、内容がどうであれ、せめて読む人に何か+(plus)を与えられるものであってほしいと願う。僕はそういうものを公開したい。そうだ、名曲喫茶というものも、お酒というものも、コーヒーというもの(以下「というもの」省略)も、テレビゲームも、演劇も、音楽も、文学も、映画も、インターネットも、もっと自分に引き寄せて言えばこの身体だって、「媒介」であろう。何の媒介か? わからん。いや、わからんくない。それはきっと精神の媒介だろう。だから、精神は大切にしなきゃいけない。(はいはい)

いったい精神とはどこにあるものか? それは肉体とは完全に別種の存在で、存在する磁場も位相も異なるのか? いや、そんなことはない(はずだ)。肉体も精神も現象も不即不離のものである(はずだ)。だから、僕が口にするひとことひとことや、相手を見つめる時のぎゅっとした瞳の力や、ぎゅぎゅっとする気持ちや、所作や——そのひとつひとつに、精神そのものの力を感じていたいって心から思う! それは、ベートーヴェンやモーツァルトやシューベルトのピアノソナタを聴いていると顕著に思うことである。そこにあるのは、心の融通無碍な動き、心そのものの素描(スケッチ)だ。スケッチと言えば、絵なんてまさにそうじゃないか。モネとかムンクとかマネとか(ほかにもいろいろいっぱい)——あれらが精神そのものの素描でなくていったい何だというのか!?

……などとしゃにむに記していたら、むしょうに上野西洋美術館に行きたくなってきました。今なら、きっと、10年前よりも5年前よりももっともっと絵画に没入できるような気がする。ムンク展、またやらないかな(ムンクがとても好きなンです)。ムンクの作品をたっぷりと鑑賞した後、こげ茶色のソファが並ぶ古びた喫茶店でそれほど美味しくないコーヒーが飲みたい。(それほど美味しくない)チーズケーキも食べたい。(美味しい)蕎麦屋にも行きたい。(美味しい)ベルクにも行きたい。あれもしたい、これもしたい。

 

さて、今日もつらつらと詰まらぬ私事ばかり失礼しました。きっとまだ慣れてないンです。きっとあと45日くらい続けたら、もう少しは「読める」ブログになると楽観視しているので、もう少し長い目で読んでやってもらえると蝶々嬉し、です。

かしこ