水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

2日めの受難

新ブログ2日め。

現在、いささか(いや、とても)酔っぱらっていて、具体的に記せることなど何もないように思える。何もないとしか思えぬ。記せることが何もないというのは、何だか、ひどく勿体ないような心地だ。冷たい水をぐっと飲んで、ぐっと腕組みをして、ぐぐっと考えてみれば、書けないなりに、何かしら書けることがあるのではないか? そのような諦めのわるい気持ちを胸に、冷たい水を飲み、腕組みをして、窓を開けてもわっとした外気を吸いこむ——しかしどのような見地から考えてみても、やはり書けることは——書けそうなことは——「なんにもなし。」by イーヨー(クマのプーさん登場キャラ) 

「書けることが何もない時に、人は何を書くのか」というのは、かねてより、興味深いthemeであった。でも、書けることが何もないのなら、やはり書けることは何もないのか知らん。いや、書けることが何もないと言うよりは、たんに、「書きたくない」というほうが正確で正直で正鵠かもしれない。中途半端なことを中途半端な心持ちで記すよりは、沈黙しているほうがよほどマシ、ということだ。「本当に言いたいことが何もないのなら、ワンワンほえたってナンセンス」by スヌーピー(ピーナッツ登場犬)

しかし、本当にそうなのだろうか? たとい中途半端なことであっても、みっともないことであっても、感心されないことであっても、じっと沈黙しているよりは、何でも良いから何かしら言った(記した)ほうが有用(有効)なのではあるまいか。しかし有用(有効)、とは? 誰にとって? 自分にとって。他者にとって。世界にとって。「行為は無為よりも(ほんの少しは)優れている」by クリシュナ(ヒンズー教聖典『ヴァガバッド・ギーター』登場神)。

でも、ホントに何にもないんだもの……。と、常人らしく、私は泣き出しそうな顔で言うだろう。

そして私は、いかにも物分かり良さそうな中年男性っぽい笑みを浮かべつつ、45度くらい下方を向いて黙っている。そうして沈黙が流れる。流れる。流れる。きっと8分間くらい。

時計を見る。実際に8分経った。私はさらにお酒をきこしめし、とっとと眠ってしまいたい、と思う。願う。渇望する。もっともっと自分の内に引きこもってしまいたい。自分だけの夢を見ていたい。しばらくのあいだ、ここから遠くに離れていたい。それでもって、どこかに行きたいぞ。でもどこへ? わからない。誰と? わからない。答えは風に吹かれている。びゅう。