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水と今

かくして君は待つ、ある人が現れるのを。君の命をとめどなく膨らませにやって来るのを。(リルケ)

出戻った。

さて、ここ数ヶ月、自分は何を考えていたのか? 自分でもわからない。わからないが、それを少しでも明るみに出すためにこの記事を書く。

昨年末、このブログを閉じて、引っ越しした懐かしの「はてなダイアリー」に、数日前から何故かログインできなく(正確には、ログインしても記事が書けなく)なってしまった。これはいったいどういうことなのか? わけがわからない。

そこで私はどうするべきか? ウサギよりも小さな頭であれこれ考えた揚げ句、恥も外聞も捨てて(というのはいささか大袈裟だが)ここに出戻りすることにしました。あのダイアリーは、他界した相棒猫のことを記すための、言うなれば「期間限定雑記」だったのだろう。そうでなくてもそういうことにしておこう。

しかし、3ヶ月ぶりにここに戻ってきたからといって、記せることはそうそうなさそう。まだ慣れていない。だいいち、僕はブログを引っ越ししすぎる。これでは読者的信用(そんなものは元々ないかもしれないが)をすっかり失くしてしまっても文句は言えない。何しろ、この10年で、たぶん4回くらいはホームを変えているはずだ(一応僕なりの必然があってそうしているのだが)。

そも、僕は何のためにこのように面倒な「ブログなるもの」を運営してきたのだろう? ささやかに営んでいる名曲喫茶を宣伝するわけでもなく、趣味の本やゲームについて記すわけでもなく、クラシック音楽について一席ぶつわけでもなく。何かしら世に訴えたい思想やオピニオンがあるわけでもなく。ないない尽くし。

つまり、「これはいったい何だ?」「目的は?」「動機は?」といった根本的疑問が今、持ち上がっている。所謂、自己顕示欲だろうか。あるいは、この世を去る前に何かしらライフログを残しておきたい、というような、いかにも人間らしい現世的欲求だろうか。あるいは、君に向かって今すぐ何か言いたい、でも言えないから記すぜ、的刹那の叫びだろうか。そう、そこでモニターだからiPhoneだかガラケーだかに向かってこの記事を読んでくださっている、ありがたい君に向かって。いったい、君はいったいどこにいるのだろうか。テルミー。

ブログ引っ越しのお知らせ

https://www.instagram.com/p/_bnyDaBL1C/

「更新ないなー」とお思いの方、(もしいらしたら)申し訳ありません。当ブログは2016年11月、下記まで引っ越しました(今後、「はてなダイアリー」のサービスが終了した際は再びこちらに戻ってくるかもしれませんが……)。新しい場所で更新できる自信が着くまで、こちらに告知するのを控えておりました。お許しあれ。

というわけで、よろしければ、引き続きどうぞよろしくです。イツキ

『月今novel』http://d.hatena.ne.jp/lovemoon+you/

ペール・エール的

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水曜日。久しぶりに近所をひた走ってみる。走ってみると、ようわかる。走ることは私のバロメーター、あるいはコンパス、あるいはメトロノームだ。

体力も気力も明らかに落ちていたことを身体全体でひしと理解できた。今年の夏は唯々暑がってばかりで、身体的にも精神的にも不調で、ろくすっぽ走れなかった。必然的に、ビール消費量はごく少ない夏だった。たくさん走ると、そのぶんビールをたくさん飲みたくなる、じっさい、飲むからね。

走った後、母の店に行ってビールを飲んだ。オランダ産の「アマリロ」というホップをふんだんに使用したインディアン・ペールエール。以前何処かで飲んだ時にすこぶる好みだったので、母に頼んで限定入荷してもらった。だがしかし、これは二種のホップを混ぜ合わせた「ブレンドホップ」なのだが、アマリロ単体で作ったシングルIPAの方が度数高く(ついでに値段も高く)、味も突き抜けるようでおいしかった。ような気がする。

私は普段、冷たいものをなるべく避けているのだが、ビールと白ワインだけは別で、これらはやっぱりそれなりに冷えているほうが良い。といっても「きんきん」に冷えている必要はなくて、冷蔵庫から出して20分くらいしたくらいが程良いように思う。唐突ですが、今日はここまで。おやすみなさい。

大国魂神社で参拝・2016

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個人的に、あれこれ転機を迎えているということもあり、母の提案で大国魂神社(府中)に参拝すべく赴いた。元日以来だから、10ヶ月ぶりである。10ヶ月前は鳥居の外まですさまじいばかりの長蛇の列が延びていたものだが(その繁盛ぶりは東京の神社でトップ3に入るそう)、今日はいっぴというだけの平日、境内はすっかり「しん」としてゐた。

見はるかす、東多摩は大国魂。木々と手入れの行き届いた境内から流れる凛とした気が花粉から私をよく護ってくれた。「鶴の石」と「亀の石」(いかにも縁起良さげ)に手をかざして気を頂き、拝殿で手を合わせる。願い事よりも先に、感謝っぽい念が先走ってしまったのは、私もそれなりに歳を重ねたということでしょうか。兎に角、二拍。今、様々な瞬間の集積の結果として、ここにいる。そのことが唯々ありがたい。一礼。あれこれことがうまく運んだら、きっとまた参ります。一礼。

10月のまとめ

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驚くべきことに、今年の10月は1日もブログを更新しなかった。ここ「はてな」というサービスでブログなるものを始めてから10年以上経つが、公開状態で1ヶ月以上更新しなかったのは何気に初めてではなかろうか。

なので、この空白の10月を「1ヶ月更新しなかった希有な月」としてそのままにしておくことも考えたが、暫く考えた末、ざっと振り返ってみることにしよう。すみません。いや、謝ることもないか。でも、謝っておこう。2016年の10月に。

 

映画

今月、映画館で2本の映画を観た。初のジブリ名義海外制作作品『レッド・タートル』とたぶん皆さん御存知『君の名は。』。

観賞前は、どちらも「アニメ」というフォーマット以外、全く異なるタイプの作品だと捉えていたのだが、じっさい観ると、どちらの作品も似た痕跡を残した。余談だが、先々月に『シン・ゴジラ』を観賞し、これにもかなり「ぐっ」と来たけど、個人的には『レッド・タートル』と『君の名は。』に私的で深くて濃まやかな感動をぐいっと持っていかれてしまった感がある。

内容や画を殆ど忘却してしまっても、ところどころで陳腐だ……幼稚だ……と心の中で揶揄しながらも(とくに『君の名は。』において顕著であった)、この2作品はばっちり「感じさせて」くれた。何を? ああ、それを言語化することはすこぶる難しい。それに、口にした途端に陳腐に響きそう。微かで奇妙な、でも、たしかに自分の内にかねてより在った何か。そんなようなことに気づかせてくれた。それがどう表されているかは(さほど)問題ではない。作品の内側にこもっていた「それ」が「観賞」という行為によって噴出し、多くの人の心を、私の心をぐいぐいと突き動かしたこと。大事なことはそれだけだ。

『レッド・タートル』も『君の名は。』も、小さな、あまりにも限定された「個」の物語(舞台は無名の島と東京と片田舎だ)から、普遍的な場所(それは時間と土地という概念を越えた、普遍的な地平だ)に辿り着く——そのような構造においても、この2本を続けて観たことに個人的な、連鎖的意味あいを感じた。ぶちまけた話、どちらも観賞中/観賞後に泣きそうになった(泣かなかったけども)。その主題は自分にとってあまりに身近すぎたのかもしれない。そして、多くの人にそのように感じさせたことであろう。ジュテーム、そんなことだ。

 

音楽(活動)

思えば祭日が多かったような気ぃする10月だったが、(今のところの)ライフワークである名曲喫茶はいつも通り虎視眈々と開け閉めしていた。誰が来てくださろうと誰も来なかろうと、こちらにできることはとにかく規定の時間に開け、大きな音でクラシックを流し、規定の時間に閉めること——そのくらいしかない。今年で5年めを迎えたこの為事だが、なんというか、今だ全然慣れない。ルーティンワークにならない、という意味では良いことかもしれないが、この「こなれなさ加減」はちょっと異常に思える。「大切な場所を預かっている」というような緊張感が依然として抜けない。少なくともこの店を開けている間は、大声や、荒々しい気や、喧騒諸々を避け、クラシック音楽と心の平安を求めてやって来る人たちのために、私は堅牢な門番であり、融通無碍な選曲者であり、腕の良いコーヒードリッパーでありたい、あらねば、ならぬ。これからも。

余談だが、《クラシック課外活動》と言うべきか、今月も六本木サントリーホールに読売交響楽団 feat.五嶋みどりの公演を聴きに赴いた。内容は……素晴らしかった。さらに言えば、或る楽曲が五嶋みどりそのもの(itself)であった。その曲は作曲者もタイトルも忘却してしまったが(ググればわかるがやめとこう)、僕とほとんど歳の変わらぬ西欧人が作った、まったき現代音楽であった。例によって目を瞑ったまま聴いていたのだが、禅と能楽をひしひし感じさせる、見はるかす内的世界そのものであった。これは、観客と演奏者がともに見ている夢の磁場である。そんなようなことを強く思った。

終演後、母の知り合いで読売交響楽団でヴァイオリンを長年弾いておられるOさん夫妻(奥様も西欧で活躍するヴァイオリニスト)に誘って頂き、オーバカナル(サントリーホール前にあるビストロ)で母と友人女性とともにワインをご一緒した。さっきまで壇上で威厳のあるアウラを放ちながらヴァイオリンを弾いていた方が目の前でついさっきの演奏のことを話しているのはなんだかとても不思議な気持ちだった。まるでいつか見た夢の続きを見ているような。

押し入れの外は下高井戸

今日は久しぶりに涼しい。窓を開けていないが、それは確かだ。身体が秋らしい気温を喜んでいるのをひしと感じている。湿気の多い家の中でこれなら、きっと外に出たらさぞかし快適だろう。

ようやく夏は終わった。そういう実感がある。嬉しい、というよりほっとした気分だ。今年の夏はとても過ごし辛かった。

何も記さ(せ)なかった、この10日ばかりのあいだに起こったこと、それについて感じていることなどをここにしっかり明記しておこうと思っていたのだが、どうやら全然無理そう。さっきから、大きな蚊が私の周りを意気揚々と飛び回っているからだ。蚊ばかりのせいでもないが、それはかなり大きい。今月の雨量と蚊の出現率は例年に比べて異様に多かったように思う。これはSNSでサーチすると多くの人が言及していることだから、きっと私だけの偏った所感ではないだろう。「2016年9月」という月を、雨と蚊と君のイメージとともに、この先、何度も思い返すことになるだろう。今年の夏から今日に至るまでのあれこれは、きっといつまで経っても忘れないだろう。何気にそういう印象的な夏だったらしい。はあ。まだ疲れが抜けていないので、20分ばかりベッドに横になってきます。

すると、いつのまにか2時間が経過していた。よくあることである。

私事で恐縮だが、どうも、あれこれややこしく考えすぎているような気がするな。もっと気楽に、心やすく、単純に、「Just do it!」的心持ちでまっすぐどんどん進んでいけば良いのではないか。きっとそれが推奨されている。ともあれ、この10日ばかり、私は自分にも他者にも「だんまり」を決めこんでいた。「決めこんでいた」というより、ただただそういう状態が常態になってしまっていた。しっかり意識していないと、人は(自分は)どんどん楽なほうに、快いほうに、疲れないほうにずるずると流れていってしまう。まるで穴にむかってずるずると這っていく怠惰なみみずのように。

 

「行動には否応なしに意味が伴う」と言うが(確か、誰かがそう言っていた)、「意味は行動を伴うことによって初めて意味を成す(為す)」というのが、今日の個人的テーマであるらしい。そのためには、うなだれて、つっぷして、グラス片手にシニカルな表情を浮かべて悦に入っているわけにはいかない。行き慣れた店で「くだ」を巻いているわけにはいかない。ぱりっとした服に着替えて、外に出て、知らない場所を意識的に動き回らないといけない。でも、いかない……いけない……と呟いていると、やや強迫観念的になるから、主体的に、自発的に、自己と他者を肯定しながら、スムーズにやってのけようじゃないか……などと心していると、やはりどんどん面倒になって、またずるずると押し入れ内的世界に戻ってしまう。押し入れは私にとって聖域のように大切な場所だが、今日、私が居るべき場所ではないようだ。

 

今日は休日である。これから外に出かけて、電車に乗って、出先の喫茶店かカフェでこの続きを記してみよう。スマートフォンにするする指を滑らせながら。店内の喧騒に耳を傾けながら。そこに熱い濃いコーヒーか、よく冷えた白ワインがあればなおいい。

遁走曲「秋の朝に」

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そんなタイトルを携えて、こけら落とし前めいた心持ちで、わざわざ時計のアラームを午前7時にセットしたのは、いつものように午前8時に起きると、身支度などでここでの記述に費やす時間が5分も取れないからだが、じっさい、こうして1時間ばかり早く目覚めて、寝惚けまなこで、暗く狭い押し入れにそっともぐりこんでみても、まとまったこと、誰かの役に立つかもしれないこと、誰かの興を引くようなことを記せる気が全くしない。このまま開店直後のドトールに赴き、薄いコーヒーを飲みながら、スマートフォンに指を滑らせていたほうが、よほど身軽に更新できそうな気がするのだった。

 

でも、自分には押し入れの方が合っているらしい。しかし、今朝はガス台点火機の電池が切れてしまい、ガスの火がどうやってもこうやっても点かないのが痛い。こういう時のためにも、たとえ煙草を喫わなくなっても100円ライターは常備しておくべきだろう、と、自分を戒めた。

今、自分の手で淹れた熱い濃いコーヒー(豆はある)、あるいはどくだみ茶(ティーバックはある)、あるいはブラックカラントティー(茶葉はある)に、自分でもロウバイするくらい飢えている。それらを飲むことなしには、この記述を最後まで記すことができないような気がしているほどだ。記しているうちに、ますます飲みたくなってきた。そういうわけで、今朝からイヤになるほど点火機カチカチ試みてきたが、ラスト、もういっぺんだけ試してきます。

……やはり駄目でした。仕方ないので、水飲みます。ごくごく。水は不思議な飲みものだ。心からそう思う。何しろ、ここにおける記述の総称にしているくらいなので、「水」についてはイッカゴンあります。それはさて置き、

そろそろこの押し入れから出て、靴ひもを固く結んで、チャコールグレーの分厚い雲に覆われた空のもとへ飛び出そう。そして浮かない顔して、見慣れたいつもの道を歩いて、店へ向かう。3連休における名曲喫茶勤務3日めが私を待っている。持ってきた数枚のレコードから1枚をターンテーブルに乗せ、そっと針を落とすと、例によって針が埃を優しく愛でる音の後、突然、蒸気機関車のように煤けたホーンが流れ出すだろう。それが名曲喫茶的ファンファーレ。ぱんかかぱんぱん(ブラームス・ホーン組曲より)